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	<description>Walk With God Ministries</description>
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		<title>世界情勢ー特に日米情勢とメデイヤのついて</title>
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		<pubDate>Tue, 25 Jan 2022 00:32:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[坂達也からの今月のメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[　先回も申し上げましたが、最近は日本のメデイヤ（私は日本経済新聞と朝日新聞の]]></description>
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<p>　先回も申し上げましたが、最近は日本のメデイヤ（私は日本経済新聞と朝日新聞の</p>
]]></content:encoded>
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		<title>２０２２年の世界情勢と日米の動向     　　　　　　　　　　　坂　　達　也</title>
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		<pubDate>Fri, 07 Jan 2022 21:55:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[２０２２年の世界情勢と日米の動向 &#160; 　　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也 &#160; &#160; 　下記は本日の日本経済新聞の記事ですが、当を得ている記事であると思いますので先ずお読みください。（記事の中での下線は筆者のもの） 　2022年の世界で最重要の政治イベントが、11月8日の米中間選挙だ。就任1年を前に支持率の低迷に直面するバイデン大統領だが、挽回の材料が見当たらない。議会での与党·民主党の優位が崩れれば、米国内だけでなく国際情勢のパワーバランスも変化する。「停滞の米国」に我々も身構える必要がある。 　1年前の当欄で私は「警戒的な楽観主義」を指摘した。バイデン政権はトランプ前大統領の孤立主義を修正し、新型コロナウイルスの危機も最悪期は過ぎた。経済や雇用は復調し、むしろサプライチェーン（供給網）の圧迫でインフレ圧力が襲う。全体的には21年は回復の年だった。 &#160; 米国「政治の季節」に突入も &#160; 　22年はどうか。残念ながら世界情勢は一段と深い不確実性に包まれるのではないか。バイデン氏の滑り出しは良かった。新型コロナのワクチン接種拡大、現金給付策の迅速な決定などが支持を得た。「アメリカ·イズ·バック（米国は戻ってきた）」と欧州との同盟関係を修復し、温暖化防止の国際枠組み「パリ協定」にも復帰した。 　だが21年夏から状況は暗転する。アフガニスタンからの米軍撤収はイスラム主義組織タリバンのアフガン制圧を許し、テロで米兵も死亡した。 　経済でも手を焼く。財政支出策を掲げたが、野党の共和党はおろか巨額支出を拒む一握りの民主党議員の反発で風前のともしびだ。さらにガソリン高などインフレ圧力が国民生活を襲う。トランプ時代を脱した米国民は「バイデン氏で本当に大丈夫なのか」と思い始めた。バイデン氏の支持率は発足当初の50%台後半から40%台前半に落ちた。 &#160; &#160; 　中間選挙は全下院議員と上院議員の約3分の1を改選する。民主党は下院で過半数を4議席（20年の選挙）上回り、上院は与野党同数（ハリス副大統領の決選票で過半数に）と僅差で優位を保つ。政権の不人気を映し、下院は民主党が過半数を割ると大半の専門家がみる。改選州での共和党勢の引退で民主党に有利だった上院も予断を許さず、両院を失う大敗も起こりうる。 　共和党は勢いづく。21年11月のバージニア州知事選で実業家出身のヤンキン候補が、教育という民主党のお株を奪うテーマで無党派層の支持を広げ、民主党の地盤を制した。20年の敗北をいまだ認めないトランプ氏も24年の大統領選挙への出馬を再三におわせ支持者を鼓舞している。 　22年は早々から米国が「政治の季節」に突入することを覚悟しなければならない。 　中間選挙でバイデン氏の民主党が優位を失えば、法律の制定はほとんど進まない。オバマ政権初期の苦境が重なるが、当時40歳代のオバマ元大統領と比べても79歳と高齢のバイデン氏は不利だ。24年の再選出馬に意欲を示すバイデン氏だが、ハリス副大統領や39歳のブティジェッジ運輸長官などの「世代交代」がささやかれる。 &#160; 隙を突く中ロ、日本にも重責 &#160; 　世界でも指導力の空白が気になる。トランプ時代に多国間主義を守ったドイツのメルケル首相は在任16年を終えて引退した。フランスのマクロン大統領は春の大統領選挙で再選に臨むが圧勝には遠そうだ。欧州中央銀行（ECB）総裁を務め、20カ国·地域首脳会議（G20サミット）で実務力の高さを示したイタリアのドラギ首相も大統領への「勇退」との見方が出ている。 　24年の米大統領選を前にバイデン氏の影響力が低下すれば、気候変動への取り組みや国際協調の路線がトランプ氏や「トランプ的」な共和党の有力者にまたひっくり返される胸騒ぎが現実味を増す。 &#160; 　空白の隙を突くのは長期統治の路線を確保した強権勢力だ。台湾への脅しを続ける中国の習近平（シー·ジンピン）国家主席は今秋の共産党大会で3選を決め、決然と強硬路線を進めるだろう。ロシアのプーチン大統領はウクライナ侵攻の構えをちらつかせる。自由主義陣営の苦境をあざ笑うかのようだ。 　中ロの双方と隣国関係にあり、しかも米国から最重要の同盟国とみなされる日本の岸田文雄首相は、微妙なバランスのなかで世界の空白を埋める役割を担う。 &#160; 　夏の参院選が控えてはいるが、日本の政権の安定度はほかの先進国に比べてずっと高い。 バイデン氏との協調を重視しつつ、岸田氏はショルツ独首相ら欧州のリーダー、オーストラリアやインドのインド太平洋諸国の首脳との協力を深化させる必要がある。「停滞の米国」に身構え、積極的に行動することが日本の存在感の高さを示す好機となる。（日経新聞の記事終わる） &#160; &#160; 当面の問題点 &#160; １　アメリカ国内の問題 &#160; 　一言で言えば、高齢で、ミス発言の重なるバイデン大統領その人が、息子のハンター·バイデンのウクライナと中国との金銭受取疑惑等もあって、ロシアと中国に完全にナメられていること、それを言えば、カマラ·ハリス副大統領の無能さも完全に曝け出されていることです。彼女は女性であることと共に、黒人と東洋人の血が混じっているという今時アメリカで理想的な「白人を嫌う風潮」の中での「申し分のない」バイデン氏の後継と見られていたのが、やらせてみたら実務的無能さが曝け出され、逆に「お荷物」になっている、その点、トランプ前大統領とは全く違うことです。 &#160; ２　北朝鮮からの脅威 &#160; 　　北朝鮮の大統領·金正恩（キム·ジョン·ウン）は健康上の理由で、目下後継者問題で種々の噂が立っていますが、彼は北朝鮮の強みを発揮すべく、核兵器を開発し、日本近海にしきりに発射実験をしていますが、彼はトランプ氏とは好関係にありました。 &#160; ３　台湾との関係 &#160; 　　ロシアがウクライナに進出しようとしている様に、中国は、既に香港から民主主義勢力を追い出し、次は今にも、台湾攻撃に踏み切ろうとしています。日本にとって、これも非常に深刻な脅威となっていないでしょうか。 &#160; ４　日本内部の情勢　 &#160; 　　　特に沖縄米軍基地·辺野古の問題は色々と物議があるようですが、上記に挙げた中国からの深刻な脅威は、日本にとって全く他人事ではない、その早急なる解決が絶対に必要です。今年こそは、国家的危機として、日米首脳間で早急に結論を出し、即行動に移すべきであると信じます。（以上です。）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-size: large;"><strong>２０２２年の世界情勢と日米の動向</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: large;"><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　下記は本日の日本経済新聞の記事ですが、当を得ている記事であると思いますので先ずお読みください。（記事の中での下線は筆者のもの）</p>
<p><span style="font-size: small;">　2022年の世界で最重要の政治イベントが、11月8日の米中間選挙だ。就任1年を前に支持率の低迷に直面するバイデン大統領だが、挽回の材料が見当たらない。議会での与党·民主党の優位が崩れれば、米国内だけでなく国際情勢のパワーバランスも変化する。「停滞の米国」に我々も身構える必要がある。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　1年前の当欄で私は「警戒的な楽観主義」を指摘した。バイデン政権はトランプ前大統領の孤立主義を修正し、新型コロナウイルスの危機も最悪期は過ぎた。経済や雇用は復調し、むしろサプライチェーン（供給網）の圧迫でインフレ圧力が襲う。全体的には21年は回復の年だった。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: medium;"><strong>米国「政治の季節」に突入も</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　22年はどうか。残念ながら世界情勢は一段と深い不確実性に包まれるのではないか。バイデン氏の滑り出しは良かった。新型コロナのワクチン接種拡大、現金給付策の迅速な決定などが支持を得た。「アメリカ·イズ·バック（米国は戻ってきた）」と欧州との同盟関係を修復し、温暖化防止の国際枠組み「パリ協定」にも復帰した。</p>
<p>　だが21年夏から状況は暗転する。アフガニスタンからの米軍撤収はイスラム主義組織タリバンのアフガン制圧を許し、テロで米兵も死亡した。</p>
<p>　経済でも手を焼く。財政支出策を掲げたが、野党の共和党はおろか巨額支出を拒む一握りの民主党議員の反発で風前のともしびだ。さらにガソリン高などインフレ圧力が国民生活を襲う。トランプ時代を脱した米国民は「バイデン氏で本当に大丈夫なのか」と思い始めた。バイデン氏の支持率は発足当初の50%台後半から40%台前半に落ちた。</p>
<p><img src="blob:http://www.banministries.org/5aaeb00a-f01f-46f5-8eb6-cfd947cc93f0" alt="pastedGraphic.png" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　中間選挙は全下院議員と上院議員の約3分の1を改選する。民主党は下院で過半数を4議席（20年の選挙）上回り、上院は与野党同数（ハリス副大統領の決選票で過半数に）と僅差で優位を保つ。政権の不人気を映し、下院は民主党が過半数を割ると大半の専門家がみる。改選州での共和党勢の引退で民主党に有利だった上院も予断を許さず、両院を失う大敗も起こりうる。</p>
<p>　共和党は勢いづく。21年11月のバージニア州知事選で実業家出身のヤンキン候補が、教育という民主党のお株を奪うテーマで無党派層の支持を広げ、民主党の地盤を制した。20年の敗北をいまだ認めないトランプ氏も24年の大統領選挙への出馬を再三におわせ支持者を鼓舞している。</p>
<p>　22年は早々から米国が「政治の季節」に突入することを覚悟しなければならない。</p>
<p>　中間選挙でバイデン氏の民主党が優位を失えば、法律の制定はほとんど進まない。オバマ政権初期の苦境が重なるが、当時40歳代のオバマ元大統領と比べても79歳と高齢のバイデン氏は不利だ。24年の再選出馬に意欲を示すバイデン氏だが、ハリス副大統領や39歳のブティジェッジ運輸長官などの「世代交代」がささやかれる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: medium;"><strong>隙を突く中ロ、日本にも重責</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　世界でも指導力の空白が気になる。トランプ時代に多国間主義を守ったドイツのメルケル首相は在任16年を終えて引退した。フランスのマクロン大統領は春の大統領選挙で再選に臨むが圧勝には遠そうだ。欧州中央銀行（ECB）総裁を務め、20カ国·地域首脳会議（G20サミット）で実務力の高さを示したイタリアのドラギ首相も大統領への「勇退」との見方が出ている。</p>
<p>　24年の米大統領選を前にバイデン氏の影響力が低下すれば、気候変動への取り組みや国際協調の路線がトランプ氏や「トランプ的」な共和党の有力者にまたひっくり返される胸騒ぎが現実味を増す。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　空白の隙を突くのは長期統治の路線を確保した強権勢力だ。台湾への脅しを続ける中国の習近平（シー·ジンピン）国家主席は今秋の共産党大会で3選を決め、決然と強硬路線を進めるだろう。ロシアのプーチン大統領はウクライナ侵攻の構えをちらつかせる。自由主義陣営の苦境をあざ笑うかのようだ。</p>
<p>　中ロの双方と隣国関係にあり、しかも米国から最重要の同盟国とみなされる日本の岸田文雄首相は、微妙なバランスのなかで世界の空白を埋める役割を担う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　夏の参院選が控えてはいるが、日本の政権の安定度はほかの先進国に比べてずっと高い。</p>
<p>バイデン氏との協調を重視しつつ、岸田氏はショルツ独首相ら欧州のリーダー、オーストラリアやインドのインド太平洋諸国の首脳との協力を深化させる必要がある。「停滞の米国」に身構え、積極的に行動することが日本の存在感の高さを示す好機となる。（日経新聞の記事終わる）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong><span style="font-size: medium;">当面の問題点</span></strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>１　アメリカ国内の問題</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　一言で言えば、高齢で、ミス発言の重なるバイデン大統領その人が、息子のハンター·バイデンのウクライナと中国との金銭受取疑惑等もあって、ロシアと中国に完全にナメられていること、それを言えば、カマラ·ハリス副大統領の無能さも完全に曝け出されていることです。彼女は女性であることと共に、黒人と東洋人の血が混じっているという今時アメリカで理想的な「白人を嫌う風潮」の中での「申し分のない」バイデン氏の後継と見られていたのが、やらせてみたら実務的無能さが曝け出され、逆に「お荷物」になっている、その点、トランプ前大統領とは全く違うことです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>２　北朝鮮からの脅威</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　北朝鮮の大統領·金正恩（キム·ジョン·ウン）は健康上の理由で、目下後継者問題で種々の噂が立っていますが、彼は北朝鮮の強みを発揮すべく、核兵器を開発し、日本近海にしきりに発射実験をしていますが、彼はトランプ氏とは好関係にありました。</p>
<p>&nbsp;</p>

<p><strong>３　台湾との関係</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　ロシアがウクライナに進出しようとしている様に、中国は、既に香港から民主主義勢力を追い出し、次は今にも、台湾攻撃に踏み切ろうとしています。日本にとって、これも非常に深刻な脅威となっていないでしょうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>４　日本内部の情勢　</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　特に沖縄米軍基地·辺野古の問題は色々と物議があるようですが、上記に挙げた中国からの深刻な脅威は、日本にとって全く他人事ではない、その早急なる解決が絶対に必要です。今年こそは、国家的危機として、日米首脳間で早急に結論を出し、即行動に移すべきであると信じます。（以上です。）</p>
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		<item>
		<title>坂　達也　近況のお知らせ</title>
		<link>http://www.banministries.org/?p=3959</link>
		<comments>http://www.banministries.org/?p=3959#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 10 Dec 2021 23:57:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[坂達也からの今月のメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[私たちのサイトをご覧いただいている愛読者の皆様 　最近は、特に２０２０年１月１６日に妻、柚実子が天に召されてからは、私一人で毎週のメッセージの用意ができませず、ほとんど何も書かずに、大変失礼して参りましたことを、先ずは深くお詫び申し上げます。 　私自身はその後元気にしておりますが、独り身となって、柚実子とのニューヨーク郊外でのアパート住まいを引き払い、そのアパートから車で２０分ぐらいのところにある息子夫婦と二人の孫が住む家に１室部屋をもらい、そこで暮らして来ました。そして、ハワイのホノルルに住む娘夫婦のアパートにも一室私の部屋があり、この間を適時往復しております。 　また、今年の９月１日に久しぶりに日本を訪問しました。主な目的は、私の日本での主治医の勧めで、私のヘルニヤ（脱腸）の手術を薦められたからです。手術はうまくいきました。後は故郷の愛知県で家族友人に会うという私用で過ごし、訪ねた教会は福島の蓬莱教会だけでした。そして、この１１月１２日に羽田からの便でホノルルに帰って来た次第です。 　　　さて、私が wwgm への投稿が書けなかった、もう一つ、最大の理由は、私は昨年から私の３冊目の本の原稿を書くのが精一杯であったことです。 　そこで、私がいったい、どんなことを書いているかに、皆様はご興味があると思い、その一端を下記にご紹介させて頂きます。　ついては、この本の最初である「はじめに」を下記の通りご紹介させていただきます。 「はじめに」  全知全能で、しかも誰よりも愛に溢れる「創造者の神」は、私たち人間全員に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。」と言われます。（１テサロニケ５：１６−１８） 　私は聖書に書いてある「ことば」の中で、これ以上の「創造者の神の絶対性を保証する」御ことばはないと断言して憚りません。 　しかし、多くの皆さんは言われるでしょう。  　　　ちょっ、ちょっと待って頂戴。お前、ついに気が狂ったのか？ 　　　　世界中にパンデミックを蔓延させ、世の中をこれ程めちゃめちゃにしておいて 　　　　その中で苦しんで生きている私たちに 　　　　「いつも喜んで···全てのことに感謝せよ··」 　　　　とは一体何という事を言う。 　　　　それが万能で愛の神だというのですか？！ 　皆様は本当にどう思われますか？ 　私自身、「創造者の神の創造」とは「私の人生の毎日で、何が起こっても、いつも喜んでいられる、そして、起こるすべてのことに、心から感謝できるようになることを「最大のモットー」として、その信仰を本気で信じ、生きようとしていると申し上げられます。  　但し、「絶えず祈る」とは、絶えず（ですよ）主イエスと私たちが「切れ目なく親しく会話する状態」（できるようになるのです）ーーこれこそが真のクリスチャンになる最大の目標であり、特典、すなわち、「永遠のいのち」を得て神と共に楽しく永遠に生きるる道であるからです。 　何故なら、その神様（父、子、聖霊の三人）は、私たちが真のクリスチャンになれば、私たちの心の中に入って来られ、私たちと共に生きてくださり、毎日いつもイエス様の口から出るみ言葉（ご指示）を受け取れるようになるからです。 　　実は、私はそのようなキリスト教の創造者の神を皆様にご紹介しようとしてこの本を書き出しました。パンデミックでも大地震でも何でも来い。いや、既に来ているし、もっともっとその災害は続くでしょう。 　コロナウイルスのパンデミックは、既に多くの変化をとげ、「変異ウイルスは強毒したウイルス」とまで言われ、それに伴い精神異常者とか自殺者が増えているのが現状です。 　しかし、もう一度申し上げます。聖書の上記の短い言葉１テサロニケ５：１６−１８のみ言葉は、神に信仰を持つ私たちに対して、究極的に喜びに満ちて生きる「永遠の命」を保障してくれているのです。 ＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝  　さてそこで、本著は、先ず第一部と第二部に大別しました。その分けた第一部は、聖書が「創造者の神」をどのように説明しているかを主なテーマとして書かせていただき、第二部では、主に宇宙物理学者による「量子論·量子工学」を中心とした「科学的考察」がどこまで創造者の神の存在に迫っているかをご紹介致します。（第一部の各章には頭にWを、第二部の各章にはRを付けました。） 　そこで「第一部」のW第１章では、主に聖書と聖書学者の言わんとすることを引用しながら「創造者の神」の自己紹介も含め、聖書の説く「創造者の神」をできる限り詳しくご紹介します。 　W第２章では、神が世にパンデミックを与えた理由を二人の著名牧師により語ってもらいます。そして思い切った提案を用意しましたのでご期待ください。 　そして、W第３章で、なぜ世の中はこんなに悪いのか、御使いと悪魔の創造ーーその理由と目的に触れます。 　また、W第４章では、神はなぜ人間だけを、先ず最初に一人の男アダムを造り、その後で、そのアダムのわきから骨を一本取り出して女エバを造った理由を、世界的に有名な女性の宣教団体「アグロー」を率いておられるジェーン·ハンセン·ホイト師が書かれた本を中心にご紹介します。この男と女に関する掲題は、今まであまり取り上げられていないと思いますので、ご期待ください。 　そしてW第５章では、創造者の神の創作とは、映画を造るのに似ているーー　天には、この世に生まれて来るすべての人間の一生の毎日に何が起こり、それぞれの登場人物と、どのような会話を交わすかの脚本と台本が綿密に２通り書かれていて、一つは神の望む原作·筋書きと台本、もう一つは、（シナリオとか台本は一切知らされていない）一人一人の人間が、実際に自由勝手に生きる人生の筋書き。天には、この二つが有史以前の初めから用意されていて、その膨大な書庫があるというのです。しかもそれを天に挙げられ実際に見て来た人が３人いて、その方々の具体的な報告をご紹介します。  　その後で第二部に移り、主に量子論·量子工学を中心に、科学者の見地から今までに発見された宇宙創造のセオリーと、それが聖書に書かれた「創造者の神の創造」とどのように違うかを、R１ーR５章にわたってご紹介して参ります。  　その中のR３章で、乗用車を運転する私の親しい牧師夫妻とその教会の二人のクリスチャン４人が、街中で、傍から信号無視で飛び出して来た大型トラックに横から衝突したにもかかわらず、無傷で通り抜けたというユニークな奇跡的体験をご紹介していますので、ご期待ください。  　そこで一つお断りしておきたいことがあります。それは、二つに分けたこと、それに、筆者の私だけではなく、ご紹介する多くの権威者が、それぞれ、聖書の言葉とか強調点の説明をされていますが、結果的に、重複するところが多いことです。（私自身もかなりくどい方です。ごめんなさい。）しかし、それを何度もご覧いただくことによって、その重要度と内容的な理解度が深まる利点があると思いますので、どうぞご了解の上、お読みいただけますようお願い致します。  　尚、本書の文章の下に引いてある下線は、すべて著者が強調したい意図をもって引いたものです。　　（以上です。） &#160; 　それでは私の新しい本の題名は未だ付いては’おりませんが、皆様にぜひご期待いただき、お祈り下さるようお願い申し上げます。 WWGM 代表　　坂　達也]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-size: medium;"><strong>私たちのサイトをご覧いただいている愛読者の皆様</strong></span></p>
<p>　最近は、特に２０２０年１月１６日に妻、柚実子が天に召されてからは、私一人で毎週のメッセージの用意ができませず、ほとんど何も書かずに、大変失礼して参りましたことを、先ずは深くお詫び申し上げます。</p>
<p>　私自身はその後元気にしておりますが、独り身となって、柚実子とのニューヨーク郊外でのアパート住まいを引き払い、そのアパートから車で２０分ぐらいのところにある息子夫婦と二人の孫が住む家に１室部屋をもらい、そこで暮らして来ました。そして、ハワイのホノルルに住む娘夫婦のアパートにも一室私の部屋があり、この間を適時往復しております。</p>
<p>　また、今年の９月１日に久しぶりに日本を訪問しました。主な目的は、私の日本での主治医の勧めで、私のヘルニヤ（脱腸）の手術を薦められたからです。手術はうまくいきました。後は故郷の愛知県で家族友人に会うという私用で過ごし、訪ねた教会は福島の蓬莱教会だけでした。そして、この１１月１２日に羽田からの便でホノルルに帰って来た次第です。</p>
<p>　　　さて、私が <span style="font-size: medium;">wwgm <span style="font-size: small;">への投稿が書けなかった、</span></span>もう一つ、最大の理由は、私は昨年から私の３冊目の本の原稿を書くのが精一杯であったことです。</p>
<p>　そこで、私がいったい、どんなことを書いているかに、皆様はご興味があると思い、その一端を下記にご紹介させて頂きます。　ついては、この本の最初である「はじめに」を下記の通りご紹介させていただきます。</p>
<p><span style="font-size: medium;"><strong>「はじめに」</strong></span></p>
<p> 全知全能で、しかも誰よりも愛に溢れる「創造者の神」は、私たち人間全員に<strong>「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。」</strong>と言われます。（１テサロニケ５：１６−１８）</p>
<p>　私は聖書に書いてある「ことば」の中で、これ以上の「創造者の神の絶対性を保証する」御ことばはないと断言して憚りません。</p>
<p>　しかし、多くの皆さんは言われるでしょう。</p>
<p> 　　　ちょっ、ちょっと待って頂戴。お前、ついに気が狂ったのか？</p>
<p>　　　　世界中にパンデミックを蔓延させ、世の中をこれ程めちゃめちゃにしておいて</p>
<p>　　　　その中で苦しんで生きている私たちに</p>
<p>　　　　「いつも喜んで···全てのことに感謝せよ··」</p>
<p>　　　　とは一体何という事を言う。</p>
<p>　　　　それが万能で愛の神だというのですか？！</p>
<p>　皆様は本当にどう思われますか？</p>
<p>　私自身、「創造者の神の創造」とは「私の人生の毎日で、何が起こっても、いつも喜んでいられる、そして、起こるすべてのことに、心から感謝できるようになることを「最大のモットー」として、その信仰を本気で信じ、生きようとしていると申し上げられます。</p>
<p> 　但し、「絶えず祈る」とは、絶えず（ですよ）主イエスと私たちが「切れ目なく親しく会話する状態」（できるようになるのです）ーーこれこそが真のクリスチャンになる最大の目標であり、特典、すなわち、「永遠のいのち」を得て神と共に楽しく永遠に生きるる道であるからです。</p>
<p>　何故なら、その神様（父、子、聖霊の三人）は、私たちが真のクリスチャンになれば、私たちの心の中に入って来られ、私たちと共に生きてくださり、毎日いつもイエス様の口から出るみ言葉（ご指示）を受け取れるようになるからです。</p>
<p>　　実は、私はそのようなキリスト教の創造者の神を皆様にご紹介しようとしてこの本を書き出しました。パンデミックでも大地震でも何でも来い。いや、既に来ているし、もっともっとその災害は続くでしょう。</p>
<p>　コロナウイルスのパンデミックは、既に多くの変化をとげ、「変異ウイルスは強毒したウイルス」とまで言われ、それに伴い精神異常者とか自殺者が増えているのが現状です。</p>
<p>　しかし、もう一度申し上げます。聖書の上記の短い言葉１テサロニケ５：１６−１８のみ言葉は、神に信仰を持つ私たちに対して、究極的に喜びに満ちて生きる「永遠の命」を保障してくれているのです。</p>
<p>＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝</p>
<p> 　さてそこで、本著は、先ず第一部と第二部に大別しました。その分けた第一部は、聖書が「創造者の神」をどのように説明しているかを主なテーマとして書かせていただき、第二部では、主に宇宙物理学者による「量子論·量子工学」を中心とした「科学的考察」がどこまで創造者の神の存在に迫っているかをご紹介致します。（第一部の各章には頭にWを、第二部の各章にはRを付けました。）</p>
<p>　そこで「第一部」のW第１章では、主に聖書と聖書学者の言わんとすることを引用しながら「創造者の神」の自己紹介も含め、聖書の説く「創造者の神」をできる限り詳しくご紹介します。</p>
<p>　W第２章では、神が世にパンデミックを与えた理由を二人の著名牧師により語ってもらいます。そして思い切った提案を用意しましたのでご期待ください。</p>
<p>　そして、W第３章で、なぜ世の中はこんなに悪いのか、御使いと悪魔の創造ーーその理由と目的に触れます。</p>
<p>　また、W第４章では、神はなぜ人間だけを、先ず最初に一人の男アダムを造り、その後で、そのアダムのわきから骨を一本取り出して女エバを造った理由を、世界的に有名な女性の宣教団体「アグロー」を率いておられるジェーン·ハンセン·ホイト師が書かれた本を中心にご紹介します。この男と女に関する掲題は、今まであまり取り上げられていないと思いますので、ご期待ください。</p>
<p>　そしてW第５章では、創造者の神の創作とは、映画を造るのに似ているーー　天には、この世に生まれて来るすべての人間の一生の毎日に何が起こり、それぞれの登場人物と、どのような会話を交わすかの脚本と台本が綿密に２通り書かれていて、一つは神の望む原作·筋書きと台本、もう一つは、（シナリオとか台本は一切知らされていない）一人一人の人間が、実際に自由勝手に生きる人生の筋書き。天には、この二つが有史以前の初めから用意されていて、その膨大な書庫があるというのです。しかもそれを天に挙げられ実際に見て来た人が３人いて、その方々の具体的な報告をご紹介します。</p>
<p> 　その後で第二部に移り、主に量子論·量子工学を中心に、科学者の見地から今までに発見された宇宙創造のセオリーと、それが聖書に書かれた「創造者の神の創造」とどのように違うかを、R１ーR５章にわたってご紹介して参ります。</p>
<p> 　その中のR３章で、乗用車を運転する私の親しい牧師夫妻とその教会の二人のクリスチャン４人が、街中で、傍から信号無視で飛び出して来た大型トラックに横から衝突したにもかかわらず、無傷で通り抜けたというユニークな奇跡的体験をご紹介していますので、ご期待ください。</p>
<p> 　そこで一つお断りしておきたいことがあります。それは、二つに分けたこと、それに、筆者の私だけではなく、ご紹介する多くの権威者が、それぞれ、聖書の言葉とか強調点の説明をされていますが、結果的に、重複するところが多いことです。（私自身もかなりくどい方です。ごめんなさい。）しかし、それを何度もご覧いただくことによって、その重要度と内容的な理解度が深まる利点があると思いますので、どうぞご了解の上、お読みいただけますようお願い致します。</p>
<p> 　尚、本書の文章の下に引いてある下線は、すべて著者が強調したい意図をもって引いたものです。　　（以上です。）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それでは私の新しい本の題名は未だ付いては’おりませんが、皆様にぜひご期待いただき、お祈り下さるようお願い申し上げます。</p>
<p><span style="font-size: medium;"><strong>WWGM</strong><span style="font-size: small;"> 代表　　坂　達也</span></span></p>
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		<title>８月３日「今週のことば」          　　　　　　　　リック・ジョイナー師   　</title>
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		<pubDate>Tue, 17 Aug 2021 03:53:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[アメリカの使徒的・預言的な人たちからのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[８月３日「今週のことば」 &#160;         　　　　　　　　リック·ジョイナー師 &#160; &#160; 　私が非常に親しくしている人の中には、その人を見なくても、その人の声を聞いただけで、直ちにその人であることが分かります。同じように、私たちは常に主の御声を聞いて、主と非常に親しい関係になっていれば、主の御声を聞いただけで、直ちにそれが主であることが分かるようにならなければなりません。 &#160;  　私の友人であるフランシス·フランジパンが好んで「私たちはマニュアル（手引書）ではなく、『エマニュエル』（神が私たちと共にいる、という意味）に従うように召されている。」言うように、私たちが、イエスについての単なる原則ではなく、イエスに従う人生の道を歩むためには、この真理を理解しなければなりません。私たちの「真理」は、私たちをご自身との個人的な関係に招いてくださったお方です。 &#160;         （だからといって） これは、私たちが神の書かれた言葉である聖書への献身と敬意を損なう（軽視する）ものではありません。御言葉であるイエス様が、悪魔の挑戦を受けたときに「聖書にこう書かれている」という言葉に立脚されたのであれば、私たちが聖書を知り、それに立脚する必要があるのは当然のことです。しかし、聖書は、私たちと主ご自身との関係や、主が私たちを導くために遣わされた主の霊との関係に取って代わるものではありません。 &#160;          聖書が重要であるのと同様に、イエスは、私たちをすべての真理に導くために本（聖書）を送るとは言わず、そのために御霊を送ると言われました。教義は主の書かれた言葉の中で確立されているので、主の書物は重要であり、私たちはできる限りそれを知りたいと思いますが、聖書は聖霊の代わりになるものではありません。聖書であっても、聖霊と一緒に読まなければ、いわゆる &#8220;死語 &#8220;になってしまいます。同じ言葉でも、聖霊によって読まれると、いのちを与える天のマナとなります。私たちが道を歩むときに必要なものを与えてくれますが、道そのものは私たちが従わなければならない人です。 &#160;          私たちが人を認識する方法には、主なるものに「顔」と「声」の2つがあります。しかし、手を見てわかる人はどれくらいいるでしょうか。しかし、どれだけのクリスチャンが、神の手、つまり神が自分に与えてくれるもの、あるいは自分にしてくれることだけで神を知っているでしょうか。ヨハネ10章で主は、主の羊は主の声を知っており、主の声を知っているから主に従うのだと説明されました。旧約の下でも、イスラエルは主の戒めに従い、主の声に耳を傾けるように繰り返し言われました。自分たちの生活に様々な指示が与えられていても、主の声を知り、耳を傾けなければなりませんでした。 &#160;         今日、多くの敬虔なクリスチャンは、聖書があるので、もはや神が私たちに語りかけたり、預言をしたりする必要はないと信じています。もし結婚式の日に、夫が「彼女に期待することをすべて書いた本を書いたから、二度と話をしなくていいよ」と言ってくれたら、花嫁はどんな気持ちになるでしょうか。それはどんな関係なのでしょうか？ &#160;          このような聖書に反する教えによって、彼らは主ご自身の代わりになったのです。このような人たちは、Ⅱテモテ3:5に書かれているように「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。」ということです。 &#160;          すべての人間関係の質は、その人とのコミュニケーションの質（方法、深さ）によって決まります。 　そこで主は、私たちが主の前で正しく生きるための第一の方法として、先ず書いた聖書を「教義」として与えて下さいました。従って、その聖書を尊重すべきなのは当然です。しかし、それだけでは十分ではありません。真に親しい深い関係に入るために主は、マタイ4:4で「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。』と書いてある。」と言われました。その意味は、私たちは、単に過去形の昔「出て来た」言葉だけではなく、現在形の主の口から「出て来る」言葉によって生きなさいと云うことです。 &#160;      [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: large;"><strong>８月３日「今週のことば」</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: large;"><strong>        </strong><strong>　　　　　　　　リック·ジョイナー師</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　私が非常に親しくしている人の中には、その人を見なくても、その人の声を聞いただけで、直ちにその人であることが分かります。同じように、私たちは常に主の御声を聞いて、主と非常に親しい関係になっていれば、主の御声を聞いただけで、直ちにそれが主であることが分かるようにならなければなりません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p> 　私の友人であるフランシス·フランジパンが好んで「私たちはマニュアル（手引書）ではなく、『エマニュエル』（神が私たちと共にいる、という意味）に従うように召されている。」言うように、私たちが、イエスについての単なる原則ではなく、イエスに従う人生の道を歩むためには、この真理を理解しなければなりません。私たちの「真理」は、私たちをご自身との個人的な関係に招いてくださったお方です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>        （だからといって） これは、私たちが神の書かれた言葉である聖書への献身と敬意を損なう（軽視する）ものではありません。御言葉であるイエス様が、悪魔の挑戦を受けたときに「聖書にこう書かれている」という言葉に立脚されたのであれば、私たちが聖書を知り、それに立脚する必要があるのは当然のことです。しかし、聖書は、私たちと主ご自身との関係や、主が私たちを導くために遣わされた主の霊との関係に取って代わるものではありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>         聖書が重要であるのと同様に、イエスは、私たちをすべての真理に導くために本（聖書）を送るとは言わず、そのために御霊を送ると言われました。教義は主の書かれた言葉の中で確立されているので、主の書物は重要であり、私たちはできる限りそれを知りたいと思いますが、聖書は聖霊の代わりになるものではありません。聖書であっても、聖霊と一緒に読まなければ、いわゆる &#8220;死語 &#8220;になってしまいます。同じ言葉でも、聖霊によって読まれると、いのちを与える天のマナとなります。私たちが道を歩むときに必要なものを与えてくれますが、道そのものは私たちが従わなければならない人です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>         私たちが人を認識する方法には、主なるものに「顔」と「声」の2つがあります。しかし、手を見てわかる人はどれくらいいるでしょうか。しかし、どれだけのクリスチャンが、神の手、つまり神が自分に与えてくれるもの、あるいは自分にしてくれることだけで神を知っているでしょうか。ヨハネ10章で主は、主の羊は主の声を知っており、主の声を知っているから主に従うのだと説明されました。旧約の下でも、イスラエルは主の戒めに従い、主の声に耳を傾けるように繰り返し言われました。自分たちの生活に様々な指示が与えられていても、主の声を知り、耳を傾けなければなりませんでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>        今日、多くの敬虔なクリスチャンは、聖書があるので、もはや神が私たちに語りかけたり、預言をしたりする必要はないと信じています。もし結婚式の日に、夫が「彼女に期待することをすべて書いた本を書いたから、二度と話をしなくていいよ」と言ってくれたら、花嫁はどんな気持ちになるでしょうか。それはどんな関係なのでしょうか？</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>         このような聖書に反する教えによって、彼らは主ご自身の代わりになったのです。このような人たちは、Ⅱテモテ3:5に書かれているように<strong>「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。」</strong>ということです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>         すべての人間関係の質は、その人とのコミュニケーションの質（方法、深さ）によって決まります。</p>
<p>　そこで主は、私たちが主の前で正しく生きるための第一の方法として、先ず書いた聖書を「教義」として与えて下さいました。従って、その聖書を尊重すべきなのは当然です。しかし、それだけでは十分ではありません。真に親しい深い関係に入るために主は、マタイ4:4で<strong>「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、</strong><strong>神の口から出る一つ一つの言葉による</strong><strong>。』と書いてある。」</strong>と言われました。その意味は、私たちは、単に過去形の昔「出て来た」言葉だけではなく、現在形の主の口から「出て来る」言葉によって生きなさいと云うことです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>         主の御名は現在形の「私はある I am」であり、過去形の「私はあった」や「私はなる」ではありません。生きておられる主を知るためには、現在形で（常に会話しながら）主を知らなければなりません。主は「生ける神」であり、私たちは聖書に書かれているように、主の行動や人間への対処の歴史を知りたいと思いますが、主との関係は継続した現在形でなければなりません。</p>
<p>　つまり、私たちは「ナザレのイエス」にも感謝していますが、イエスはもはやナザレのイエスではなく、天地のすべての支配者と支配権の上にある「王の王」です。私たちは今、この方をそのように知らなければならないのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>      [ジョイナー師の後書き] 今年の終わりまで、この「今週のことば」は、私たちがどのようにして主を知り、主とともに歩み、主の声を知り、主の顔を求めるように命じられているかに焦点を当てていきます。（終わり）</p>
<div></div>
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		<title>苦難のさなかをゆくとも  　　ーー迫害前夜に生きるキリストの弟子     　　　　　　　　　バジレア・シュリンク</title>
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		<pubDate>Sun, 01 Aug 2021 09:03:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[アメリカの使徒的・預言的な人たちからのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[苦難のさなかをゆくとも 　　ーー迫害前夜に生きるキリストの弟子 &#160; 　　　　　　　　　　　　　　　バジレア・シュリンク &#160; &#160; 　クリスチャンの基本は十字架にあります。パンデミックに見舞われている今の時代は、まさに苦難の最中にあり、マザー・バジレアさんは次のように言われます。 　「激しい迫害や私たちへの絶え間ない攻撃、憎しみに対して、私たちは自分の力で耐えることはできません。苦難に耐える力は、すべてキリストの内にあるのです。もしキリストと一つになっているなら、私たちは勝利を得、パウロと同じようにこう叫ぶことができます。「何ものをも『私たちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、私たちを引き離すことはできない。』と。（ロマ書８：３９）共に主の力によって圧倒的な勝利を得る者となりましょう。」 &#160; その時代をどのように生きるかは、主が言われます。 　「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ９：２３−２７) &#160; &#160; 罪に打ち勝つ &#160; 「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。」（１ペテロ５：８、９） &#160; 　この世での短い人生では、私たちクリスチャンを待ち受けている試練を克服できるかどうかにすべてがかかっています。苦難と迫害という試練に耐えることができるでしょうか。 　その結果が私たちの永遠の運命を決定するでしょう。サタンの狙いは私たちを敗北させ、命の冠を奪い取ることです。サタンの戦略は、私たちの苦しみを恐れる心、卑怯な心、反抗、誤った愛着や人への恐れといった私たちの最も弱いところを攻撃することです。 　迫害が臨む時、私たちがどれほど真剣に自分の罪を取り上げ、どの程度罪と戦い、克服できたかが明らかになることでしょう。もし仔細なこの世の出来事や「今日」の喜びや悲しみに心を奪われて「明日」を忘れたなら、私たちはその結果を刈り取ることになります。「明日」には迫害が訪れます。イエスの贖いを信じ、罪に対して真剣に戦うことによって、前もって自らを備えない限り、だれひとり、この試みに耐え抜くことはできません。 　聖書は私たちに、絡みつく罪を捨てるように（ヘブル書１２：１）命じています。それには戦い無くしては打ち勝つことはできません。 　それは私たちが口論好き、支配欲、嫉妬、身勝手、不誠実、欲望を満たしたいといった自分中心の罪をそのままにしておかず、それらを心から憎むときだけに打ち勝てるのです。・・・ 　すなわち、キリスト教の知識を知ることよりは、キリストの弟子として生きることが大切です。神の御心とは何でしょうか。それは私たちが聖なる者となることであるのです。（１テサロニケ４：３） &#160;  キリストの苦難にあずかる特権 &#160; 　「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」（ピリピ１：２９） &#160; 　クリスチャンに対する大きな迫害が近づいています。恐らくその規模は今までになかったほどのものであり、だれをも恐怖に陥れることでしょう。洗脳、強制収容所、投獄、精神病院、拷問、殉教が脳裏に浮かびます。しかし、この苦難はすばらしい秘密があり、その他の苦悩とは全く違ったところがあります。それは「キリストのための苦しみ」であるということです。 　私たちが苦しむのは、ある概念のためでも、あるいは大衆によって偶像化された罪深く、死すべき人間のためでもありません。また私たちは、民衆を惑わし、恐怖政治すら行う支配者のために苦しむのではありません。何千という人たちがそのような指導者に従い、どのような犠牲おもいとわず、命すら惜しいとは思わずに尽くしてきました。そして結局は自分たちがだまされていたことに気がつくのです。 　しかし、クリスチャンである私たちは迫害が訪れても、イエス・キリストのために苦しみ、命すら投げ出す特権が与えられています。イエスはいと高き主であり、賛美を受けるにふさわしく、威厳をもって統べ治められる方です。 &#160; 　このようにして使徒パウロはイエスのために苦しむように召されました。御国のために「選ばれた器」であったパウロについて主が語られました。「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」（使徒行伝９：１６） 　初代の殉教者に限らず、現代の殉教者もイエスを信じるだけでなく、主のために苦しむことがどんなにすばらしい名誉であるか気づいています。パウロはイエスのために苦しむことは恵みであり、特権であると考えていました。（フィリピ１：２９）殉教者は、大抵この世のものではない喜びに満たされていました。なぜなら、彼らの心はイエスへの愛に燃え、御名のために辱められ、苦しみに遭うことを名誉に思う気持ちに圧倒されたのです。彼らにとってイエスの御名は、あらゆる栄光と力、知恵と美、そして計り知れない愛以外の何ものでもありませんでした。それは常に彼らの心に優しく響く愛の御名であったのです。 　イエスが彼らにとって最も大切なはじめの愛であったからこそ、近年の殉教者は、かっての殉教者がそうであったようにイエスのために喜んで苦しみ、すべてを神に献げることができたのです。迫害が始まる以前から彼らは、いやしめ、屈辱、失望、窮乏、誤解、侮辱、拒絶、自己否定、犠牲そして最終的には十字架というイエスの道を選んだのです。イエスを愛する人々は、以前から真の弟子としてイエスと同じ道を歩むことを選択し、迫害が訪れる時までには備えられていました。彼らは苦しみによって試された者であり、イエスへの愛に燃えていました。自分の十字架をイエスと共に負えば負うほど、彼らはイエスに強く結びつけられ、イエスへの愛はいっそう強く燃え上がったのです。 　イエスはこの上なく私たちを愛し、私たちが御自分の愛にこたえるのを待っておられます。私たちが主を愛し、主の歩まれた道を選び、自らの十字架を負って御自分に従うよう、主は呼びかけておられます。（続く）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-size: large;"><strong>苦難のさなかをゆくとも</strong></span></p>
<p><span style="font-size: large;"><strong>　　ーー迫害前夜に生きるキリストの弟子</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: large;">　　　　　　　　　　　　　　　<strong>バジレア・シュリンク</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　クリスチャンの基本は十字架にあります。パンデミックに見舞われている今の時代は、まさに苦難の最中にあり、マザー・バジレアさんは次のように言われます。</p>
<p>　「激しい迫害や私たちへの絶え間ない攻撃、憎しみに対して、私たちは自分の力で耐えることはできません。苦難に耐える力は、すべてキリストの内にあるのです。もしキリストと一つになっているなら、私たちは勝利を得、パウロと同じようにこう叫ぶことができます。「何ものをも<strong>『私たちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、私たちを引き離すことはできない。』</strong>と。（ロマ書８：３９）共に主の力によって圧倒的な勝利を得る者となりましょう。」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その時代をどのように生きるかは、主が言われます。</p>
<p>　<strong>「だれでもわたしについて来たいと思うなら、</strong><strong>自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい</strong><strong>。」</strong>(ルカ９：２３−２７)</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: medium;"><strong>罪に打ち勝つ</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。」</strong>（１ペテロ５：８、９）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この世での短い人生では、私たちクリスチャンを待ち受けている試練を克服できるかどうかにすべてがかかっています。苦難と迫害という試練に耐えることができるでしょうか。</p>
<p>　その結果が私たちの永遠の運命を決定するでしょう。サタンの狙いは私たちを敗北させ、命の冠を奪い取ることです。サタンの戦略は、私たちの苦しみを恐れる心、卑怯な心、反抗、誤った愛着や人への恐れといった私たちの最も弱いところを攻撃することです。</p>
<p>　迫害が臨む時、私たちがどれほど真剣に自分の罪を取り上げ、どの程度罪と戦い、克服できたかが明らかになることでしょう。もし仔細なこの世の出来事や「今日」の喜びや悲しみに心を奪われて「明日」を忘れたなら、私たちはその結果を刈り取ることになります。「明日」には迫害が訪れます。イエスの贖いを信じ、罪に対して真剣に戦うことによって、前もって自らを備えない限り、だれひとり、この試みに耐え抜くことはできません。</p>
<p>　聖書は私たちに、絡みつく罪を捨てるように（ヘブル書１２：１）命じています。それには戦い無くしては打ち勝つことはできません。</p>
<p>　それは私たちが口論好き、支配欲、嫉妬、身勝手、不誠実、欲望を満たしたいといった自分中心の罪をそのままにしておかず、それらを心から憎むときだけに打ち勝てるのです。・・・</p>
<p>　すなわち、キリスト教の知識を知ることよりは、キリストの弟子として生きることが大切です。神の御心とは何でしょうか。それは私たちが聖なる者となることであるのです。（１テサロニケ４：３）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p> <span style="font-size: medium;"><strong>キリストの苦難にあずかる特権</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>　「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」</strong>（ピリピ１：２９）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　クリスチャンに対する大きな迫害が近づいています。恐らくその規模は今までになかったほどのものであり、だれをも恐怖に陥れることでしょう。洗脳、強制収容所、投獄、精神病院、拷問、殉教が脳裏に浮かびます。しかし、この苦難はすばらしい秘密があり、その他の苦悩とは全く違ったところがあります。それは「キリストのための苦しみ」であるということです。</p>
<p>　私たちが苦しむのは、ある概念のためでも、あるいは大衆によって偶像化された罪深く、死すべき人間のためでもありません。また私たちは、民衆を惑わし、恐怖政治すら行う支配者のために苦しむのではありません。何千という人たちがそのような指導者に従い、どのような犠牲おもいとわず、命すら惜しいとは思わずに尽くしてきました。そして結局は自分たちがだまされていたことに気がつくのです。</p>
<p>　しかし、クリスチャンである私たちは迫害が訪れても、イエス・キリストのために苦しみ、命すら投げ出す特権が与えられています。イエスはいと高き主であり、賛美を受けるにふさわしく、威厳をもって統べ治められる方です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このようにして使徒パウロはイエスのために苦しむように召されました。御国のために「選ばれた器」であったパウロについて主が語られました。<strong>「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」</strong>（使徒行伝９：１６）</p>
<p>　初代の殉教者に限らず、現代の殉教者もイエスを信じるだけでなく、主のために苦しむことがどんなにすばらしい名誉であるか気づいています。パウロはイエスのために苦しむことは恵みであり、特権であると考えていました。（フィリピ１：２９）殉教者は、大抵この世のものではない喜びに満たされていました。なぜなら、彼らの心はイエスへの愛に燃え、御名のために辱められ、苦しみに遭うことを名誉に思う気持ちに圧倒されたのです。彼らにとってイエスの御名は、あらゆる栄光と力、知恵と美、そして計り知れない愛以外の何ものでもありませんでした。それは常に彼らの心に優しく響く愛の御名であったのです。</p>
<p>　イエスが彼らにとって最も大切なはじめの愛であったからこそ、近年の殉教者は、かっての殉教者がそうであったようにイエスのために喜んで苦しみ、すべてを神に献げることができたのです。迫害が始まる以前から彼らは、いやしめ、屈辱、失望、窮乏、誤解、侮辱、拒絶、自己否定、犠牲そして最終的には十字架というイエスの道を選んだのです。イエスを愛する人々は、以前から真の弟子としてイエスと同じ道を歩むことを選択し、迫害が訪れる時までには備えられていました。彼らは苦しみによって試された者であり、イエスへの愛に燃えていました。自分の十字架をイエスと共に負えば負うほど、彼らはイエスに強く結びつけられ、イエスへの愛はいっそう強く燃え上がったのです。</p>
<p>　イエスはこの上なく私たちを愛し、私たちが御自分の愛にこたえるのを待っておられます。私たちが主を愛し、主の歩まれた道を選び、自らの十字架を負って御自分に従うよう、主は呼びかけておられます。（続く）</p>
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		<link>http://www.banministries.org/?p=3935</link>
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		<pubDate>Thu, 22 Jul 2021 21:18:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[アメリカの使徒的・預言的な人たちからのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[十字架の向こう側 &#160; ボブ·ジョーンズ（Bob and Bonnie Ministry ） &#160; (これは１９９５年のボブ·ジョーンズのスピーチです。彼は２０１4年に天に召されました。このお話は何度読んでも面白いので、改めてご紹介します。) &#160; 最後のバッター「恵み」 &#160; １０年前（１９８５年）の５月２１日、それは、ペンテコステの日でしたが、主が野球の試合のヴィジョンを与えてくださいました。 試合は、悪魔のチームと神のチームとの対戦でした。９回の裏で両チームともそれまで得点がなく、神のチームが９回の裏の攻撃を始める時でした。主が最初のバッターを送られました。その名は「愛」でした。サタンが投球し、「愛」がバットを振りました。愛は常に神を喜ばせ、決して失敗しないのです。（Love never fails)それはヒットとなり、愛は一塁に走って行きました。主は次のバッターを送られました。それは愛と共に働く「信仰」でした。サタンが投球し信仰がバットを振り、ヒットとなりました。信仰は神を喜ばせ、愛と共に働くのです。信仰も決してしくじることはありません。主は次のバッターを送られました。それは「知恵」という名でした。サタンが投球しましたが、知恵はバットを振りませんでした。サタンは次つぎに球を投げましたが、知恵はよく球を見たのでフォアボールとなりました。神の知恵はサタンが投げる悪球に引っかからないのです。 &#160; 神は今、このように愛、信仰、知恵を私たちの人生に働かせ、私たちを成長させようとしておられるのです。３塁に愛、２塁に信仰、１塁に知恵と、満塁になったとき、主は次のバッターを送られました。「わたしはいま最強のものを送る」と主は言われました。それは今まで見たことのないピンチヒッターで、その名は「恵みGrace」でした。サタンが投球し、恵みがバットを振りました。バットが折れるようなものすごいヒットとなりました。しかし「嘘つき」が外野にいてそれを阻止しようとしました。嘘つきのハエは空中にいるのです。教会の中でサタンは悪いうわさやゴシップをはびこらせ、神の栄光を隠していました。「嘘つき」は「まかしておけ！絶対取るぞ！」と叫びましたが、球は彼のグローブを通り抜け、ホームランになりました。４人の走者は全部ホームインして神のチームの勝利となりました。「４」は聖霊のナンバーです。聖霊の働きがこれから強くなるのです。 &#160; ゼカリヤ４：７「大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運びだそう。」 &#160; 「愛」「信仰」「知恵」は人間の働きです。それは私たちをあるところまでは導いてくれますが、ホームインさせるのは 神の「恵み」なのです。 &#160; ダビデの油そそぎ &#160; 詩編８９：２０「わたしは、わたしのしもべダビデを見いだし、わたしの聖なる油を彼にそそいだ。」 &#160; 今主は、多くのダビデのような者を見いだして油を注ぎ、恵みを解き放ってくださいます。先ずすべての土台である「愛」が心から主を求める者たちに与えられていると信じます。そして「信仰」が強くされ、サタンに惑わされることのない「知恵」が与えられてきました。 &#160; 教会は今まで「神と一緒に（with God）」ではなく「神のために（for　God）」一生懸命働いてきました。今こそ私たちが「神と一緒に」働く時です。モーセではありませんが「神が共に行かないならば私はどこにも行かない、何もしない」と決意する時です。今まで私たちは「神の手」を求めて「下さい、下さい、下さい！」と言ってきました。でも神は「そうではなくて、わたしの心を求めなさい」と言われるのです。ダビデは神の心を持っていましたね。「わたしの心を捜し求めなさい。わたしの心の内を捜し求めなさい。」と主は言われます。 &#160; 神の心に何があるかご存知でしょうか？ それは人々の魂です。神は人々の魂を求めておられるのです。イエスは私たちに救いを与えるためにこの世に来てくださいました。そして私たちの長兄として進んで十字架にかかってくださったのです。イエスのいけにえの代価で私たちは贖われたのです。 &#160; 御父は今もこの世を愛するゆえに、今度は「あなた」をこの世に与えようとしておられます。私たちは皆、十字架の向こう側に行かねばならないのです。十字架のこちら側にいた時、あなたは手をのばして「主よ、下さい、下さい！ 欲しいです！」と言いました。でも十字架のむこう側に行ったならば、聖なる御霊が復活の力をもってあなたの内に働き始めます。そしてあなたはキリストの性質を持つ、キリストに似た者となっていくのです。その時、十字架のもとに来る人たちに必要なものをあなたが与えることが出来るのです。その時、あなたは「受ける者」から「与える者」にかわることが出来るのです。 &#160; 主はみなさんに「成長しなさい！大人になりなさい！」と言っておられます。私たちが愛、信仰、知恵を身につけるならば、神は恵みを注いでくださるのです。その時に決して試合に負けることはありません！ &#160; 聖霊を招き入れる &#160; 聖霊はずっと教会の扉を叩いておられます。人々は「聖霊よ、あなたを尊ぶと言っているグループの中で、あなたが本当に働かれるのを見たならば、私たちの教会にあなたをお迎えしてもいいかもしれませんね。でもまずその人たちが変えられるのを見たいのですよ。」と言います。 私はそれが起ころうとしていると信じます。聖霊に満たされた人々の中で主にある真の愛の交わりが具現化されていくのです。そのようにペンテコステが又現われるとき、それを見た人々は聖霊に心を開くようになります。 &#160; 聖霊があなたに語るのを聞いてください。そうすれば私たちが語るときに、神の言葉を語るようになるのです。 私たちの口から出る言葉も神の言葉と同じように、創造の力を持つようになります。詩編１１５：１６には「天は、主の天である。しかし、地は、人の子らに与えられた。」と書かれています。そして今主は私たちが地を主にお返しするのを待っておられます。「わたしが再び地で働く許可を人々が与えるのをわたしは待っている」と主は言われます。（サタンは私たちの許可を必要としません。彼はどこにでも勝手に無断で入っていく盗人です。）すべてのとりなしの祈り、回心の祈りは、神の介入を許可し招き入れるものです。 &#160; 聖霊は教会の扉を叩いて「入れてください。もし入れてくれれば、わたしはあなたの教会の主となります。そして一人の方、即ちイエス·キリストを顕します。」と言っておられるのです。イエスが教会に来られると、一人の方、即ち御父を顕されます。御父は７０年前、非常に嘆かれました。それは進化論が人々に受け入れられ、「人類の父は猿だ」と人々が信じ始めた時でした。進化論が「あなたの父は猿だ」と言ったので多くのクリスチャンも混乱しました。御父はバビロン捕囚のときにされたように７０年を区切られました。バビロンは「混乱」という意味ですね。御父は７０年間、姿を現されませんでした。今、７０年が経ち、御父は再び来てくださいます。私のお父さんは猿ではなく、全能なる神です！私は自分が誰かを知っていますし、御父が誰であるかも知っています。家族なのです。 ずっと前に私は神の御心の真ん中は家族であることを発見しました。御父は家族を大切にする方です。御父が来られるとき家族を大切にされます。ご自分の子供たちがお互いの悪口を言ったり、ゴシップをするのを非常に嫌われます。 &#160; 火のバプテスマ &#160; 御父は新しい土台を造られます。聖なる霊は愛です。あなたが愛に成長するならば、あなたは聖さにも成長するのです。ローマ１：４に「聖い霊（spirit [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-size: large;"><strong>十字架の向こう側</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: large;"><strong>ボブ·ジョーンズ</strong>（Bob and Bonnie Ministry ）</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>(これは１９９５年のボブ·ジョーンズのスピーチです。彼は２０１4年に天に召されました。このお話は何度読んでも面白いので、改めてご紹介します。)</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: medium;"><strong>最後のバッター「恵み」</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>１０年前（１９８５年）の５月２１日、それは、ペンテコステの日でしたが、主が野球の試合のヴィジョンを与えてくださいました。</p>
<p>試合は、悪魔のチームと神のチームとの対戦でした。９回の裏で両チームともそれまで得点がなく、神のチームが９回の裏の攻撃を始める時でした。主が最初のバッターを送られました。その名は「愛」でした。サタンが投球し、「愛」がバットを振りました。愛は常に神を喜ばせ、決して失敗しないのです。（Love never</p>
<p>fails)それはヒットとなり、愛は一塁に走って行きました。主は次のバッターを送られました。それは愛と共に働く「信仰」でした。サタンが投球し信仰がバットを振り、ヒットとなりました。信仰は神を喜ばせ、愛と共に働くのです。信仰も決してしくじることはありません。主は次のバッターを送られました。それは「知恵」という名でした。サタンが投球しましたが、知恵はバットを振りませんでした。サタンは次つぎに球を投げましたが、知恵はよく球を見たのでフォアボールとなりました。神の知恵はサタンが投げる悪球に引っかからないのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>神は今、このように愛、信仰、知恵を私たちの人生に働かせ、私たちを成長させようとしておられるのです。３塁に愛、２塁に信仰、１塁に知恵と、満塁になったとき、主は次のバッターを送られました。「わたしはいま最強のものを送る」と主は言われました。それは今まで見たことのないピンチヒッターで、その名は「恵みGrace」でした。サタンが投球し、恵みがバットを振りました。バットが折れるようなものすごいヒットとなりました。しかし「嘘つき」が外野にいてそれを阻止しようとしました。嘘つきのハエは空中にいるのです。教会の中でサタンは悪いうわさやゴシップをはびこらせ、神の栄光を隠していました。「嘘つき」は「まかしておけ！絶対取るぞ！」と叫びましたが、球は彼のグローブを通り抜け、ホームランになりました。４人の走者は全部ホームインして神のチームの勝利となりました。「４」は聖霊のナンバーです。聖霊の働きがこれから強くなるのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ゼカリヤ４：７<strong>「大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運びだそう。」</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「愛」「信仰」「知恵」は人間の働きです。それは私たちをあるところまでは導いてくれますが、ホームインさせるのは 神の「恵み」なのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: medium;"><strong>ダビデの油そそぎ</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>詩編８９：２０<strong>「わたしは、わたしのしもべダビデを見いだし、わたしの聖なる油を彼にそそいだ。」</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今主は、多くのダビデのような者を見いだして油を注ぎ、恵みを解き放ってくださいます。先ずすべての土台である「愛」が心から主を求める者たちに与えられていると信じます。そして「信仰」が強くされ、サタンに惑わされることのない「知恵」が与えられてきました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>教会は今まで「神と一緒に（with God）」ではなく「神のために（for　God）」一生懸命働いてきました。今こそ私たちが「神と一緒に」働く時です。モーセではありませんが「神が共に行かないならば私はどこにも行かない、何もしない」と決意する時です。今まで私たちは「神の手」を求めて「下さい、下さい、下さい！」と言ってきました。でも神は「そうではなくて、わたしの心を求めなさい」と言われるのです。ダビデは神の心を持っていましたね。「わたしの心を捜し求めなさい。わたしの心の内を捜し求めなさい。」と主は言われます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: medium;"><strong>神の心に何があるかご存知でしょうか？</strong></span></p>
<p>それは人々の魂です。神は人々の魂を求めておられるのです。イエスは私たちに救いを与えるためにこの世に来てくださいました。そして私たちの長兄として進んで十字架にかかってくださったのです。イエスのいけにえの代価で私たちは贖われたのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>御父は今もこの世を愛するゆえに、今度は「あなた」をこの世に与えようとしておられます。私たちは皆、十字架の向こう側に行かねばならないのです。十字架のこちら側にいた時、あなたは手をのばして「主よ、下さい、下さい！</p>
<p>欲しいです！」と言いました。でも<strong>十字架のむこう側に行ったならば</strong><strong>、聖なる御霊が復活の力をもってあなたの内に働き始めます。そして</strong><strong>あなたはキリストの性質を持つ、キリストに似た者となっていくのです</strong><strong>。</strong>その時、十字架のもとに来る人たちに必要なものをあなたが与えることが出来るのです。その時、あなたは「受ける者」から「与える者」にかわることが出来るのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>主はみなさんに「成長しなさい！大人になりなさい！」と言っておられます。私たちが愛、信仰、知恵を身につけるならば、神は恵みを注いでくださるのです。その時に決して試合に負けることはありません！</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>聖霊を招き入れる</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>聖霊はずっと教会の扉を叩いておられます。人々は「聖霊よ、あなたを尊ぶと言っているグループの中で、あなたが本当に働かれるのを見たならば、私たちの教会にあなたをお迎えしてもいいかもしれませんね。でもまずその人たちが変えられるのを見たいのですよ。」と言います。</p>
<p>私はそれが起ころうとしていると信じます。聖霊に満たされた人々の中で主にある真の愛の交わりが具現化されていくのです。そのようにペンテコステが又現われるとき、それを見た人々は聖霊に心を開くようになります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>聖霊があなたに語るのを聞いてください。そうすれば私たちが語るときに、神の言葉を語るようになるのです。</p>
<p>私たちの口から出る言葉も神の言葉と同じように、創造の力を持つようになります。詩編１１５：１６には<strong>「天は、主の天である。しかし、地は、人の子らに与えられた。」</strong>と書かれています。そして今主は私たちが地を主にお返しするのを待っておられます。「わたしが再び地で働く許可を人々が与えるのをわたしは待っている」と主は言われます。（サタンは私たちの許可を必要としません。彼はどこにでも勝手に無断で入っていく盗人です。）すべてのとりなしの祈り、回心の祈りは、神の介入を許可し招き入れるものです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>聖霊は教会の扉を叩いて「入れてください。もし入れてくれれば、わたしはあなたの教会の主となります。そして一人の方、即ちイエス·キリストを顕します。」と言っておられるのです。イエスが教会に来られると、一人の方、即ち御父を顕されます。御父は７０年前、非常に嘆かれました。それは進化論が人々に受け入れられ、「人類の父は猿だ」と人々が信じ始めた時でした。進化論が「あなたの父は猿だ」と言ったので多くのクリスチャンも混乱しました。御父はバビロン捕囚のときにされたように７０年を区切られました。バビロンは「混乱」という意味ですね。御父は７０年間、姿を現されませんでした。今、７０年が経ち、御父は再び来てくださいます。私のお父さんは猿ではなく、全能なる神です！私は自分が誰かを知っていますし、御父が誰であるかも知っています。家族なのです。</p>
<p>ずっと前に私は神の御心の真ん中は家族であることを発見しました。御父は家族を大切にする方です。御父が来られるとき家族を大切にされます。ご自分の子供たちがお互いの悪口を言ったり、ゴシップをするのを非常に嫌われます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: medium;"><strong>火のバプテスマ</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>御父は新しい土台を造られます。聖なる霊は愛です。あなたが愛に成長するならば、あなたは聖さにも成長するのです。ローマ１：４に「聖い霊（spirit of</p>
<p>holiness）」とあります。私はどうすれば聖い霊が得られるかを主に訊ねましたが、それは聖霊のバプテスマを受けるのと同じでした。即ち、信仰によって受けるのであり、そしてそれは愛が私のうちで働くときに成長するのです。主は愛という土台を築かれておられ、それは決して壊されることはありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: medium;"><strong>選ばれる者となる</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>イザヤ４８：１０に<strong>「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩み·苦しみの炉であなたを試みた。」</strong>とあるように、主はこの１０年間、私たちを試煉という熱い炉で練られました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>マタイ２２：１４に「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。</strong><strong>For many are called, but few are chosen. </strong><strong>」</strong><strong> </strong><strong>とあるように、</strong><strong>すべてのクリスチャンは招待されて、熱い炉に入れられるのです。</strong><strong>ある者たちは３週間で、「もう十分だ、ここから出よう。こ</strong><strong>れは思っていたより熱いぞ。私の大事なもの、まだ手放したくないものがどんどん燃えてしまう！」と言って途中で炉から出てしまうのです。人は自分が捧げた分に応じて受けます。ダビデは１０年間苦難の炉に中に入っていました。あなたが炉に留まり続けるときあなたは「選ばれる」</strong><strong>のです。</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今御父は、苦難の炉の中から多くの白い石を取り出しておられるのを私は見ます。主はこれらの白い石で土台を築かれます。それは祭司の土台であり、純粋な神の言葉、義と愛で築かれる土台です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>火のパプテスマとは聖さの霊であると主が言われました。聖さの霊があなたの生活の中で働き始めると、神の火があなたを燃やし尽くし始めます。私が罪を犯したとき、私は御父から逃げませんでした。かえって私は御父にむかって走っていったのです。そして主が言われることはすべて従いました。もしあなたの足が汚れたならば、天のお父さんのところに走って行き、主の足を掴んでください。神の火があなたの罪をも焼き尽くしてくれるでしょう。（終り）</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>時間 　 TIME　　  　　　　　フランソワ　フェネロン</title>
		<link>http://www.banministries.org/?p=3923</link>
		<comments>http://www.banministries.org/?p=3923#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 08 Jul 2021 23:44:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[主と個人的に深い交わりを持つためのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[時間 　 TIME　　 　　　　　　　　　　　　　　　フランソワ　フェネロン &#160;   時間の使い方は、人生のさまざまな季節に応じて変化しますが、どの瞬間にも当てはまる原則があります。それは「時間を無駄にしてはならない。」です。 &#160; 　どの季節にも、神があなたに課したさまざまな仕事があり、あなたは自分の時間をどう使ったかを神に報告する（義務）があります。創造者の神は、あなたの人生のどの時間（瞬間）も「目的のない」ものとして見ることを望まれません。つまり神は、あなたが神から離れて時間を過ごすことを望んではおられないのです。 &#160;   重要なことは、神があなたにどのように時間を使って欲しいと願っているかを知ることです。このことは、勤勉さや学校教育、優れた知性によって学ぶのではなく、その人の、純粋でまっすぐな心で、常に神に注目し、神に思いを馳せることによって学ぶのです。 &#160; 　また、自分が何かしたいと思うことが、自己愛（自分中心）からの発想であることに気づいたら、すぐにそれを捨てる。ーー　それは「何もしないで時間を過ごす」時を含み、また、間違っていると分かっていることをしているのであれば「時間を無駄にしている」ことになる、加えて、一見「良い」ことをしていると思えても、それが神からのものでなければ、やはり「時間を無駄にして」いることになるのです。 &#160;   あなたは、神の指示を得るために、常に「神の霊」に頼らなければなりません。 神が何を望んでおられるのかはっきりしない時は、もう一度、神に尋ねてみましょう。そして、あなたに対するその時の神の御心をはっきり理解した時、神の御心をする際に神が下さるものすごい力で前進しましょう。自分が神から離れていくのを感じたら、神に心を戻しましょう。 &#160;   自分自身を救い主の手に委ね、いつも意識して神が望むことをしようとしているなら、あなたは本当に祝福されているのです。ですから、いつも神があなたに何を求めているかを、決して飽きずに尋ねる習慣をつけましょう。   それぞれの時間に与えられている責任をその都度果たしてゆく、 神はそのためにあなたを準備しています。あなたがすべき唯一のことは、あなたの気性（例えば怒りっぽいとか）、強い意思・意見、その時の心配事など、あなたの様々な肉的な反応のすべてを、完全に神に委ねることです。 また、その時の自分の外的な仕事量に圧倒されてはいけません。 &#160;   すべての行動において、「神を称える」ことを求めてください。なぜなら、自分の仕事に個人的に没頭する時、自分の全思考がその仕事を中心に回ってしまう危険があるからです。そのような時には、つい仕事で興奮しすぎたり、落ち込みすぎたりします。 &#160;   他の人と一緒にいる時間は、あなたにとって非常に危険な時です。そのような時こそ、あなたは神の前に留まることを学ばなければなりません。 あなたと他人との会話の中には、しばしば微妙なものが隠されているからです。 　 他の人と過ごす時間にこそ、神があなたを用いて、彼らによい影響を与えるお話しをされることが多いのです。 覚えておいて欲しいのは、あなたの言葉は、大きな善をもたらすこともあれば、大きな害をもたらすこともあるということです。   さて、何もしなくてよい「空き時間」は楽しいものです。しかし、その時にこそ、日頃あまりできない、神との親密な時間を過ごす秘訣を学ぶために、自分の霊的な力を増進する貴重なチャンスでもあるのです。 主をよく知っている人は、そのような空いている時間を楽しみに待っています。（終わり） 筆者・坂　達也の後書き： 　この文章は１テサロニケ５：１７にある「絶えず祈りなさい」をいみじくも説明してくれています。本当に私たちは、文字通り「絶えず祈る」＝主と霊的交信・実行をする必要があるのです。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-size: large;"><strong>時間</strong><strong> 　 TIME　　</strong></span></p>
<p>　　　　　　　　<span style="font-size: large;"><strong>　　　　　　　フランソワ　フェネロン</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p> <span style="font-size: small;"> 時間の使い方は、人生のさまざまな季節に応じて変化しますが、どの瞬間にも当てはまる原則があります。それは「時間を無駄にしてはならない。」です。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">　どの季節にも、神があなたに課したさまざまな仕事があり、あなたは自分の時間をどう使ったかを神に報告する（義務）があります。創造者の神は、あなたの人生のどの時間（瞬間）も「目的のない」ものとして見ることを望まれません。つまり神は、あなたが神から離れて時間を過ごすことを望んではおられないのです。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">  重要なことは、神があなたにどのように時間を使って欲しいと願っているかを知ることです。このことは、勤勉さや学校教育、優れた知性によって学ぶのではなく、その人の、純粋でまっすぐな心で、常に神に注目し、神に思いを馳せることによって学ぶのです。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">　また、自分が何かしたいと思うことが、自己愛（自分中心）からの発想であることに気づいたら、すぐにそれを捨てる。ーー　それは「何もしないで時間を過ごす」時を含み、また、間違っていると分かっていることをしているのであれば「時間を無駄にしている」ことになる、加えて、一見「良い」ことをしていると思えても、それが神からのものでなければ、やはり「時間を無駄にして」いることになるのです。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">  あなたは、神の指示を得るために、常に「神の霊」に頼らなければなりません。 神が何を望んでおられるのかはっきりしない時は、もう一度、神に尋ねてみましょう。そして、あなたに対するその時の神の御心をはっきり理解した時、神の御心をする際に神が下さるものすごい力で前進しましょう。自分が神から離れていくのを感じたら、神に心を戻しましょう。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">  自分自身を救い主の手に委ね、いつも意識して神が望むことをしようとしているなら、あなたは本当に祝福されているのです。ですから、いつも神があなたに何を求めているかを、決して飽きずに尋ねる習慣をつけましょう。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">  それぞれの時間に与えられている責任をその都度果たしてゆく、 神はそのためにあなたを準備しています。あなたがすべき唯一のことは、あなたの気性（例えば怒りっぽいとか）、強い意思・意見、その時の心配事など、あなたの様々な肉的な反応のすべてを、完全に神に委ねることです。 また、その時の自分の外的な仕事量に圧倒されてはいけません。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">  すべての行動において、「神を称える」ことを求めてください。なぜなら、自分の仕事に個人的に没頭する時、自分の全思考がその仕事を中心に回ってしまう危険があるからです。そのような時には、つい仕事で興奮しすぎたり、落ち込みすぎたりします。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">  他の人と一緒にいる時間は、あなたにとって非常に危険な時です。そのような時こそ、あなたは神の前に留まることを学ばなければなりません。 あなたと他人との会話の中には、しばしば微妙なものが隠されているからです。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　 他の人と過ごす時間にこそ、神があなたを用いて、彼らによい影響を与えるお話しをされることが多いのです。 覚えておいて欲しいのは、あなたの言葉は、大きな善をもたらすこともあれば、大きな害をもたらすこともあるということです。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">  さて、何もしなくてよい「空き時間」は楽しいものです。しかし、その時にこそ、日頃あまりできない、神との親密な時間を過ごす秘訣を学ぶために、自分の霊的な力を増進する貴重なチャンスでもあるのです。 主をよく知っている人は、そのような空いている時間を楽しみに待っています。（終わり）</span></p>
<p><strong><span style="font-size: medium;">筆者・坂　達也の後書き：</span></strong></p>
<p>　この文章は１テサロニケ５：１７にある<strong>「絶えず祈りなさい」</strong>をいみじくも説明してくれています。本当に私たちは、文字通り「絶えず祈る」＝主と霊的交信・実行をする必要があるのです。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>「神の計画への服従・降伏」  　十字架を抱きしめる　　　　　フランソワ・フェンロン</title>
		<link>http://www.banministries.org/?p=3911</link>
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		<pubDate>Sat, 26 Jun 2021 09:13:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[主と個人的に深い交わりを持つためのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[「神の計画への服従・降伏」 　十字架を抱きしめる　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　フランソワ・フェンロン &#160;         　　　                   　 　　                               紹介と解説：        WWGM 　坂　達也 &#160;     最初に著者であるフランソワ・フェンロン Francois de Fenelon をご紹介します。彼は１６５１年に生まれ、１７１５年に６３歳で天に召されましたが、特筆すべきことは、同じ時期に、三人の主イエス・キリストとその十字架を愛する著名なフランス人が出ている事です。 　その一人は「霊的な導き」を書いたミカエル・モリノMichaeru Molinos 師、もう一人は 私が特に傾倒するジャンヌ・ガイヨンJeanne Guyon 夫人、それに、フェンロン師を加えての三人です。私はたまたまこの三人の残した著書を持っていますが、いずれも心から「十字架を抱きしめる」ことを最大の目標としていることにおいて共通しています。  　さて、この１７世紀後半から１８世紀の初めといえば、フランス史上最長といわれる、悪名高いルイ１４世の時代と重なります。フェンロン師はこの文章を読まれればよく分かりますが、真に「自分に（魂）死んだ見本」のような愛の人で、ルイ１４世の孫息子＝彼は手の付けられないような荒々しい気性の激しい子供で＝ほとほと持て余したルイ１４世は、この子供の養育をフェンロンに委ねました。フェンロンはこの孫息子を見事に教育し、その功績を称えたルイ１４世は、フェンロンに対して、当時の法王を通してカトリックの大司教の地位を与えました。しかし、この孫息子はフェンロンが死ぬ３年前に亡くなり、ルイ１４世の後継とはなりませんでしたが、彼は死ぬまで、フェンロンを尊敬・崇拝したと言われ、フェンロンもガイヨン夫人もこの孫息子が後継王にならなかったことを大いに嘆いています。 &#160; 　ついては、私自身の３冊めの本の「はじめに」で、私はパウロが書いた１テサロニケ５：１６−１８に触れ、特に１７節の「絶えず祈りなさい。」の意味をご紹介しましたが、その折に、父と子を代表する「聖霊の神」は「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。・・・」（ガラテヤ２：２０）を引用し、私たちが真のクリスチャンになれば、聖霊が、私たちの心の中に入って来られ、私たちと共に生きてくださり、毎日色々指示して下さることが実現する。すなわち、私たちクリスチャンは、「絶えず祈る」ことによって、すべて主の言われることに従っていれば、たとえ世の中がひっくり返ろうと、安心して「「いつも喜んでいられ、すべてに感謝しておられる」と説明しました。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-size: large;"><strong>「神の計画への服従・降伏」</strong></span></p>
<p><span style="font-size: large;"><strong>　十字架を抱きしめる　　　　　　　　　　　　　</strong></span></p>
<p><span style="font-size: large;"><strong>　　　　　　　　　　　　フランソワ・フェンロン</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p> <strong>       </strong><strong>　　　</strong><strong> </strong></p>
<p>                 　 　<strong>　</strong><span style="font-size: medium;"><strong>                               </strong><strong>紹介と解説：</strong><strong>        WWGM </strong><strong>　坂　達也</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>    最初に著者であるフランソワ・フェンロン Francois de Fenelon をご紹介します。彼は１６５１年に生まれ、１７１５年に６３歳で天に召されましたが、特筆すべきことは、同じ時期に、三人の主イエス・キリストとその十字架を愛する著名なフランス人が出ている事です。</p>
<p>　その一人は「霊的な導き」を書いたミカエル・モリノMichaeru Molinos 師、もう一人は 私が特に傾倒するジャンヌ・ガイヨンJeanne Guyon 夫人、それに、フェンロン師を加えての三人です。私はたまたまこの三人の残した著書を持っていますが、いずれも心から「十字架を抱きしめる」ことを最大の目標としていることにおいて共通しています。</p>
<p> 　さて、この１７世紀後半から１８世紀の初めといえば、フランス史上最長といわれる、悪名高いルイ１４世の時代と重なります。フェンロン師はこの文章を読まれればよく分かりますが、真に「自分に（魂）死んだ見本」のような愛の人で、ルイ１４世の孫息子＝彼は手の付けられないような荒々しい気性の激しい子供で＝ほとほと持て余したルイ１４世は、この子供の養育をフェンロンに委ねました。フェンロンはこの孫息子を見事に教育し、その功績を称えたルイ１４世は、フェンロンに対して、当時の法王を通してカトリックの大司教の地位を与えました。しかし、この孫息子はフェンロンが死ぬ３年前に亡くなり、ルイ１４世の後継とはなりませんでしたが、彼は死ぬまで、フェンロンを尊敬・崇拝したと言われ、フェンロンもガイヨン夫人もこの孫息子が後継王にならなかったことを大いに嘆いています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ついては、私自身の３冊めの本の「はじめに」で、私はパウロが書いた１テサロニケ５：１６−１８に触れ、特に１７節の<strong>「絶えず祈りなさい。」</strong>の意味をご紹介しましたが、その折に、父と子を代表する「聖霊の神」は<strong>「私はキリストとともに十字架につけられました。</strong><strong>もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる</strong><strong>のです。・・・」</strong>（ガラテヤ２：２０）を引用し、私たちが真のクリスチャンになれば、聖霊が、私たちの心の中に入って来られ、私たちと共に生きてくださり、毎日色々指示して下さることが実現する。すなわち、私たちクリスチャンは、「絶えず祈る」ことによって、すべて主の言われることに従っていれば、たとえ世の中がひっくり返ろうと、安心して「<strong>「いつも喜んでいられ、すべてに感謝しておられる」</strong>と説明しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ガイヨン夫人の「イエス・キリストの奥深い経験をする」という本によれば、</p>
<p>（上記の）<strong>「絶えず祈る」</strong>ことによって、私たちがどんな状態で、どこにいて、何をしていても、常に神の臨在の中で生きることを経験し続けることができる、と言われます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで、ルイ１４世と言えば、ジャンヌ・ガイヨン夫人を悪名高いバステイーユ牢獄に裁判無しで閉じ込められ、そこで夫人は6−８年過ごしたと言われますが、この間にフェンロンはガイヨン夫人と密接に連絡を取り、励まされたと言います。</p>
<p>　それでは以上でフェンロン師の紹介を終わり、以降は彼の書いた<strong>「神の計画への服従・降伏ー十字架を抱きしめる」</strong>の本文に入ります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>＝　＝　＝　＝　＝　＝　＝　＝</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　みなさんが色々なトラブルに陥っている事を、私は本当にお気の毒に思います。しかし、そのトラブルが、神様は必ず皆様のためにお働きになっておられる証拠であることを私は知っています。</p>
<p>　それは、神様があなたを心から愛しているからであり、それゆえにあなたが苦しむのをを惜しまないということを忘れないでください。</p>
<p>神様はあなたを愛しています。それゆえに、イエス・キリストの十字架をあなたの上に置いてくださっているのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>   あなたがどんな啓示を受けようと、どんな感動的な体験をしようと、それがあなたを正しく導くものでなければ意味がありません。</p>
<p>どんな啓示を受けようと、どんな感情的な経験をしようと、それがまさに現実的で絶え間ない「自分に死ぬ」という実践に結びつかなければ、価値はありません。すなわち、自分自身の「自己中心の性質」に死ぬことを、現実的かつ継続的に実践しなければ意味がないのです。残念なことに、苦しみなしに「自分に死ぬ」ことはできません。</p>
<p>　そして、自分中心の性質がまだ少しでも生きているなら、「自分は完全に死んだ」とは言えないことは確かであるのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　神があなたにもたらす「自己死」は、あなたの心の奥底にまで突き刺さり、あなたの霊と魂を分断します。</p>
<p>　 神はあなたの内面に、あなた自身には見えないものをすべて見ておられ、特に致命的な打撃を与えるべき場所を正確に知っておられます。</p>
<p>　神は、あなたが最も諦めたくないものに真っ直ぐに向かって来ます。痛みは、生命があるところでのみ感じられるものです。そしてこの状況では、その生きているところこそが まさに死を必要とする場所なのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>  あなたの父なる神は、すでに死んでいるものに切り込むことで時間を無駄にしません。もし父があなたをそのままにしておきたいのであれば、必ずそうされるでしょう。父は、あなたの古い罪の性質を 破壊しようとしておられるのです。それはあなたの生きているものに切り込むことによってのみ達成できるのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　しかし、あなたが最初に神を信じ、自分を捧げたときに永遠に放棄したはずの、邪悪な欲望だけを神が攻撃するとは思わないでください。むしろ、神はあなたが感じている素晴らしい自由の感覚とか、今、あなたに精神的な安らぎを与えているもののすべてを取り去ることで、あなたを試すかもしれません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>  あなたは抵抗しますか？それへの答えは絶対にノーです。神のなさる すべてを受け入れるのです。「あなた自身の（魂の）死」を自ら率先して志願してください。なぜなら神は、あなたが神にそれを許す範囲でのみ、あなたが必要とすることがらを神は実行されるからです。神があなたの人生に起こそうとしている霊的な進歩を拒否すべきではないのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>  今、神が喜んで下さるその喜びのために、あなた自身が頼っている神の喜ばないすべてのものを、放棄してください。それは霊的なものを含めてです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>信仰の薄いあなたたちよ！何を恐れているのですか？</p>
<p> 自分のよいと思っている力を奪われたとき、神がより良いご自分の御力をあなたに与えないとでも恐れているのですか？</p>
<p>あなたが持っている小さな力をなぜ主は取り去ろうとしているのか、分からないのですか？それは神があなたの全面的な供給者となるためであるからです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　霊的なレッスンは痛みを伴うかもしれませんが、主はあなたの信仰を浄化し、神があなたのために用意した「神の仕事」を完遂するために必要な最もよい完璧な「神の手段」を用意したおられるのです。</p>
<p>  私は、クリスチャンの教会の「なすべき仕事」を前にしてあらゆるこの世的な助けの手段を神が遮断するのを、見て来ました。</p>
<p>　神は嫉妬深い神です。神はあなたに必要な最高のものを用意される方です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>  主のご計画に一切身を任せましょう。神は、あなたを連れて行こうとするところに、あなた自身が導かれることを、あなた自身に期待し、それのみをあなたに待ち望んでおられます。</p>
<p>　自分で人に助けを求めるときは注意が必要です。</p>
<p>  神があなたに与えるようにとその人に与えるものしか、彼らは、あなたに与えることができないことを忘れないでください。</p>
<p> 　 蛇口から水が飲めなくなったからといって、なぜあなたが困るのでしょうか？あなたは今「永遠に流れ出る泉」からふんだんに飲むように導かれているのです。（続く）</p>
]]></content:encoded>
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		<title>神は私が呼ぶとき答えて下さる  　　　　バジレア·シュリンク</title>
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		<pubDate>Fri, 11 Jun 2021 18:56:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[アメリカの使徒的・預言的な人たちからのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[神は私が呼ぶとき答えて下さる &#160; 　　　　　　　　　　　　　バジレア·シュリンク &#160; &#160; &#160; 　詩篇５０：１５「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたは私をあがめよう。」 &#160; 　この御言葉は、聖書に示されている終末的様相をますます帯び、多くの苦悩が心をむしばもうとする現代に生きる私たちへの、神からの力強い呼びかけです。 　悩んでいる人は誰でも助けを呼び求めます。子供は母親を呼び求め、大人は自分にとって親しい人を呼び求めます。しかし、その助けを求める叫びが聞かれぬままに消えてしまうことを、しばしば経験するのではないでしょうか。自分を愛してくれる人々や、とても親切で世話好きな人であっても、ほかのことに心をうばわれていて、私たちの叫びが聞こえないことがあるかもしれません。 　あるいはまた、私たちの問題に対して、どうやって助ければよいかわからないこともあるでしょう。 &#160; 　こうした時、主なる神が「わたしを呼び求めなさい！と呼びかけておられるとは、何とすばらしいことでしょう。誰かが「どんな時でも電話をかけてきなさい。相談にのりましょう。私にまかせなさい！と言って助けの手を差し伸べてくれる時、それは私たちにとってどんなに励ましになるでしょう。私たちはその時、あらゆる苦悩と心配事の只中にあっても、安心していられるのです。 　しかしいま、このような呼びかけが天と地を造られたお方、私たちをあがなってくださった主イエス·キリストからなされているのです。主はその愛ゆえに私たちの心が悲しみに満ちていることを、また私たちがあれこれの問題に対処できないでいるのをすべてご存知です。愛に満ちたまなざしで、イエスは私たちの心にあるすべてのことをごらんになります。主お一人が私たちの心をわかって下さるのです。なぜなら、主は苦しみを受けられ、私たちと同じように試みに会われたからです。しかし、それだけではなく、主は、私たちがどのような悩みの中にあっても助けを備えて下さり、すべての問題を解決できる唯一のお方なのです。 &#160; &#160; 　それでは、イエスという名にはどんな意味があるのでしょうか。イエスとは「神は救いたもう」という意味です。神は助けであり、救いであられます。 　　言いかえるならば、主イエスが私たちを助けず、救い出さないことなどあり得ないのです。主のご性質とみわざは、愛と救いによって特徴づけられます。なぜなら、イエスは愛そのものであられるからです。主は、憎しみをもって敵対した人や、主をいやしめ、あざけった人のためにさえも、苦しみに耐えられたお方です。それゆえイエスが私たちを愛して下さっていることを決して疑うことはできません。 　人間の愛は、すべて主イエス·キリストの内にある愛の炎と比較すると、はかない小さな花火でしかありません。イエスが私たちに惜しまず与えて下さるのは、この燃えるような神の愛です。多かれ少なかれ、だれもが悩みの中にある今日、イエスは救いをもたらす神の愛を、かってないほど私たちに体験させたいと願っておられます。 　しかし、主イエスの助けは自動的に受けられるものではありません。イエスは生ける主であられ、その愛を押し付けることはなさいません。主はご自身を呼び求める者にのみ、近づいて下さるのです。それゆえ私たちは、このように主イエスをほめたたえましょう。 &#160; 　主イエス様、 　あなたは「しかり、アーメン」なるお方です。あなたを信じる者はあがない 　を体験します。 　あなたは救い主であられますから、私を罪の鎖から必ず救って下さいます。 　あなたのもとに来る者は決して滅びることはありません。 　「わたしを呼び求めなさい！」と主が招いておられる時、私たちは実際にそ 　うしなければなりません。くり返し起こる災害、殺人、暴力、暴動、戦争の 　脅威、キリスト者に対する迫害といった毎日のニュースの接する時、私たち 　はこれらから思いが離れない、という危険にさらされます。しかしそれで 　は、意気消沈や苦悩、恐れから脱することはできません。イエスを呼び求め 　るとは、いわば「自分自身から飛び出す」ことです。 &#160; 　意気消沈している時、私たちは助けを呼び求めることを始めなければなりま 　せん。そうすることによってのみ、憂うつから脱することができるのです。 　しかし、「主イエス様、あなたはともかくも私を助けてくれるでしよう· 　···」と祈るだけでは十分ではありません。私たちは確固たる信頼をも 　って、主の御名を呼び求めるべきです。その時何かが起こります。なぜな 　ら、この叫びは神のこころに届くからです。神は助けを求める者はだれで 　も救われる、という驚くべき約束を与えて下さっているのです。 &#160; 　神がご自身の言葉を守られるということを私はくり返し体験してきました。 　主の御名は、「しかり」であり、「アーメン」です。しかしながら、祈り 　が答えられるためには、一つの条件があります。それは主の御名を心から 　呼び求めるということです。そしてこれは、子供でさえ理解し、行えるこ 　とです。 　今日、若い人々の間でも、霊魂や悪魔と接触を持つことがごく普通となっ 　てきています。中にはオカルトの講座さえ提供する学校や大学があります。 　その結果悪魔が勢力をふるってきているのです。これは事実です。イエス 　は生きておられます。しかしサタンもまた、今日私たちが体験しているよ 　うに、現実なのです。だれでもサタンと接触を持つ者は、激しい精神的苦 　悩に陥ります。最初サタンは若者を自分の支配下に入れるために、セック 　スや麻薬を使って舞台裏でこっそりと働いていましたが、今や公然と自分 　自身を現しているのです。 　　それゆえ「わたしを呼び求めなさい！」とイエスが招いておられるのは、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-size: large;"><strong>神は私が呼ぶとき答えて下さる</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: large;"><strong>　　　　　　　　　　　　　バジレア·シュリンク</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>　</strong><span style="font-size: small;">詩篇５０：１５<strong>「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたは私をあがめよう。」</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>　</strong>この御言葉は、聖書に示されている終末的様相をますます帯び、多くの苦悩が心をむしばもうとする現代に生きる私たちへの、神からの力強い呼びかけです。</p>
<p>　悩んでいる人は誰でも助けを呼び求めます。子供は母親を呼び求め、大人は自分にとって親しい人を呼び求めます。しかし、その助けを求める叫びが聞かれぬままに消えてしまうことを、しばしば経験するのではないでしょうか。自分を愛してくれる人々や、とても親切で世話好きな人であっても、ほかのことに心をうばわれていて、私たちの叫びが聞こえないことがあるかもしれません。</p>
<p>　あるいはまた、私たちの問題に対して、どうやって助ければよいかわからないこともあるでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>

<p>　こうした時、主なる神が「わたしを呼び求めなさい！と呼びかけておられるとは、何とすばらしいことでしょう。誰かが「どんな時でも電話をかけてきなさい。相談にのりましょう。私にまかせなさい！と言って助けの手を差し伸べてくれる時、それは私たちにとってどんなに励ましになるでしょう。私たちはその時、あらゆる苦悩と心配事の只中にあっても、安心していられるのです。</p>
<p>　しかしいま、このような呼びかけが天と地を造られたお方、私たちをあがなってくださった主イエス·キリストからなされているのです。主はその愛ゆえに私たちの心が悲しみに満ちていることを、また私たちがあれこれの問題に対処できないでいるのをすべてご存知です。愛に満ちたまなざしで、イエスは私たちの心にあるすべてのことをごらんになります。主お一人が私たちの心をわかって下さるのです。なぜなら、主は苦しみを受けられ、私たちと同じように試みに会われたからです。しかし、それだけではなく、主は、私たちがどのような悩みの中にあっても助けを備えて下さり、すべての問題を解決できる唯一のお方なのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それでは、イエスという名にはどんな意味があるのでしょうか。イエスとは「神は救いたもう」という意味です。神は助けであり、救いであられます。</p>
<p>　　言いかえるならば、主イエスが私たちを助けず、救い出さないことなどあり得ないのです。主のご性質とみわざは、愛と救いによって特徴づけられます。なぜなら、イエスは愛そのものであられるからです。主は、憎しみをもって敵対した人や、主をいやしめ、あざけった人のためにさえも、苦しみに耐えられたお方です。それゆえイエスが私たちを愛して下さっていることを決して疑うことはできません。</p>
<p>　人間の愛は、すべて主イエス·キリストの内にある愛の炎と比較すると、はかない小さな花火でしかありません。イエスが私たちに惜しまず与えて下さるのは、この燃えるような神の愛です。多かれ少なかれ、だれもが悩みの中にある今日、イエスは救いをもたらす神の愛を、かってないほど私たちに体験させたいと願っておられます。</p>
<p>　しかし、主イエスの助けは自動的に受けられるものではありません。イエスは生ける主であられ、その愛を押し付けることはなさいません。主はご自身を呼び求める者にのみ、近づいて下さるのです。それゆえ私たちは、このように主イエスをほめたたえましょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　主イエス様、</p>
<p>　あなたは「しかり、アーメン」なるお方です。あなたを信じる者はあがない</p>
<p>　を体験します。</p>
<p>　あなたは救い主であられますから、私を罪の鎖から必ず救って下さいます。</p>
<p>　あなたのもとに来る者は決して滅びることはありません。</p>
<p>　「わたしを呼び求めなさい！」と主が招いておられる時、私たちは実際にそ</p>
<p>　うしなければなりません。くり返し起こる災害、殺人、暴力、暴動、戦争の</p>
<p>　脅威、キリスト者に対する迫害といった毎日のニュースの接する時、私たち</p>
<p>　はこれらから思いが離れない、という危険にさらされます。しかしそれで</p>
<p>　は、意気消沈や苦悩、恐れから脱することはできません。イエスを呼び求め</p>
<p>　るとは、いわば「自分自身から飛び出す」ことです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　意気消沈している時、私たちは助けを呼び求めることを始めなければなりま</p>
<p>　せん。そうすることによってのみ、憂うつから脱することができるのです。</p>
<p>　しかし、「主イエス様、あなたはともかくも私を助けてくれるでしよう·</p>
<p>　···」と祈るだけでは十分ではありません。私たちは確固たる信頼をも</p>
<p>　って、主の御名を呼び求めるべきです。その時何かが起こります。なぜな</p>
<p>　ら、この叫びは神のこころに届くからです。神は助けを求める者はだれで</p>
<p>　も救われる、という驚くべき約束を与えて下さっているのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　神がご自身の言葉を守られるということを私はくり返し体験してきました。</p>
<p>　主の御名は、「しかり」であり、「アーメン」です。しかしながら、祈り</p>
<p>　が答えられるためには、一つの条件があります。それは主の御名を心から</p>
<p>　呼び求めるということです。そしてこれは、子供でさえ理解し、行えるこ</p>
<p>　とです。</p>
<p>　今日、若い人々の間でも、霊魂や悪魔と接触を持つことがごく普通となっ</p>
<p>　てきています。中にはオカルトの講座さえ提供する学校や大学があります。</p>
<p>　その結果悪魔が勢力をふるってきているのです。これは事実です。イエス</p>
<p>　は生きておられます。しかしサタンもまた、今日私たちが体験しているよ</p>
<p>　うに、現実なのです。だれでもサタンと接触を持つ者は、激しい精神的苦</p>
<p>　悩に陥ります。最初サタンは若者を自分の支配下に入れるために、セック</p>
<p>　スや麻薬を使って舞台裏でこっそりと働いていましたが、今や公然と自分</p>
<p>　自身を現しているのです。</p>
<p>　　それゆえ「わたしを呼び求めなさい！」とイエスが招いておられるのは、</p>
<p>　何とすばらしいことでしょう。主はサタンと地獄に打ち勝った勝利者であ</p>
<p>　られます。イエスの御名を求める者はだれでも、あらゆる暗闇の力からの</p>
<p>　開放を体験するでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<span style="font-size: medium;"><strong>主の御名のちから</strong>（という歌）</span></p>
<p><strong>　　</strong></p>
<p><strong>　</strong>１．「主の御名のちからわれはあがめん　つみのくさりからわれをはなつ</p>
<p>　２．御名が呼ばわれば、やみは去りて、み国のとびらが　われに開かん。</p>
<p>　３．主の御名のちから　われはたたえん、地獄の支配を　うちくだかれん</p>
<p>　４．主の御名はきょうも　わが喜び、こころの悲しみ　いやしたもう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　私たちにはこのような主がおられるーーこれは何とはかりしれない恵み</p>
<p>　でしょう。死人の中からよみがえり、御父のもとへ帰られて、今や無数の</p>
<p>　天使たちに礼拝されている主イエスは、それで満足されるはずではないで</p>
<p>　しょうか。しかし、主イエスは私たちをあまりに愛しておられるので、そ</p>
<p>　の愛ゆえに私たちの方へと駆り立てられるのです。主は偉大なる大祭司と</p>
<p>　して、神の御座でたえず私たちのためにとりなしておられ、常に魂を救っ</p>
<p>　ておられます。愛ゆえに主は決して休むことなく、暗黒の力から、次々と</p>
<p>　魂を救い出しておられるのです。ーーーこれは何とはかりしれない恵みで</p>
<p>　しょう。私たちは、イエスのこのあがないの力をたんに一度だけではなく、</p>
<p>　たえず新たに必要としています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　私たちはみな先祖から受け継ぎ、私たちの中に深く根づいている罪深い</p>
<p>　性質の特徴、たとえば神経過敏症、不きげん、肉の欲望、うそをつくこと、</p>
<p>　ねたみ、苦々しい思いといった性質を持ってはいませんか。それはまるで</p>
<p>　泥沼につかっているようなものです。そこでイエスは「今わたしを呼び求</p>
<p>　めなさい！」と招いておられます。もし今あなたが呼び求めず、ただ成り</p>
<p>　行きにまかせるなら、あなたはますます深く沈んでしまい、そしてそれは</p>
<p>　自分の責任となります。···</p>
<p>&nbsp;</p>

<p>　　主を呼び求める時、私たちはイエス·キリストーーー「人の子らにまさ</p>
<p>　って麗しいお方]（詩篇４５：２）、愛をささげるのに最もふさわしいお方</p>
<p>　との、聖なる交わりに入れられます。それは何と幸いなことでしょう。</p>
<p>　主イエスは贖われた者たちの花婿であり、威厳と栄光をおびてこの地上に</p>
<p>　再び来られる王の王であられます。···この暗い時代に、主を求めるこ</p>
<p>　とができるとは、何とすばらしい神からの贈り物でしょう。···すると</p>
<p>　にわかに私の心は慰めと喜びに満たされます。····以上はバジレア·</p>
<p>　シュリンク師の小冊子から引用しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong><span style="font-size: medium;">（追記）</span></strong>私、坂　達也は、これこそ、まさにクリスチャンの毎日の生き方</p>
<p>　である<strong>「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全ての事について、</strong></p>
<p><strong>　感謝しなさい。···」</strong>（１テサロニケ４：１６、１７、１８）の意味で</p>
<p>あり、特に<strong>「絶えず祈りなさい。」</strong>（「主からの御言葉を直接いただく」</p>
<p>の意味するところ）であると信じます。ハレルヤ！（終わり）</p>
]]></content:encoded>
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		<title></title>
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		<pubDate>Sat, 05 Jun 2021 21:14:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[坂達也からの今月のメッセージ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.banministries.org/?p=3907</guid>
		<description><![CDATA[信仰の言語と量子論と　アネット·キャップス &#160; 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也 &#160; &#160; アネットさんは言われます。 　「量子論の仕組みは、あまりにも奇妙で奇抜なため、それを表現する言葉がありません。これが、多くの人が量子物理学に興味を持てない理由の一つです。ほとんどの人にとって、量子物理学は理解できないものなのです。 &#160; 　私たちが住んでいるこのマクロな世界での素粒子の振る舞いの例を見せれば、理解してもらえると思います。しかし、量子ミクロの世界は、私たちが日々観察している自然(マクロ)の世界とは、上下が逆になっているように見えることがあります。 &#160; 　量子物理学を勉強していると、それがとても身近に感じられるようになりました。それは「信仰の言葉」のように聞こえました。私が長年にわたって教えられてきた信仰や告白に関することが、突然、科学的に可能になったのです。イエス様が教えてくださったから信仰で受け入れたことが、まるでイエス様が量子原理の言葉を話しているかのように聞こえたのです。言葉が山を動かすというのは、どれほど奇妙なことなのでしょうか。 &#160; 　イエスの言葉を信じるためには、古い考えを捨て、新しい考えを受け入れることが必要です。イエスが教えてくれた言葉は、世間的に見れば無意味なことのように思えますが、イエスは「私たちはこの世のものではない」と言っています。私たちはこの世にいますが、この世のものではありません（ヨハネ17：16）。 私たちは、イエスが神の国の法則と呼んだ、別の法則の中で活動しているのです。神の国とは、神が住んでいる領域のことです。 &#160; &#160; 異なる領域  異なるルール  &#160;   神の国の法則は説明できません。それは、物質的、物理的なレベルではなく、創造の基礎となる、より高い原理に基づいているからです。創世記第1章には、神が御言葉によって目に見えないものを存在させたことが記されています。言葉目に見えない振動は、明らかに物質を顕在化させたり変化させたりする効果があります。   説明のつかないこれらの法則を、あなたはすでに経験しているかもしれません。 あなたは信仰に基づいて経済的な種を蒔いたことがありますか？10ドルを寄付して、100ドル、1000ドルと豊かになることができるのはどうしてでしょうか。この原理がどのように働くのか、数学的に説明することはできません。しかし、神の国の原理がどのように働くのか、イエスはまさにこのように教えておられるのです。···」 &#160; 　以上は Annette Capps  アネット·キャップス師の小冊子の一部から取ったものですが、私はこの方のことを近いうちに出版予定の私の３冊目の本で紹介しています。 　何故この部分だけを引用させていただいたかといえば、実は、今は天に召された私の家内の柚実子が、地元ニューヨークの教会で、今となっては最後の機会をとらへて、一〇１献金がどれほど大切かを皆さんに訴えました。それが私にとっては彼女の遺言であったような強い印象を持ったのです。彼女もこのアネットさんの小さな一文を読んでいたと思いました。 　どうぞ皆様、１０いち献金の尊さを、柚実子からの遺言としてお受け取りくだされば幸いです。 &#160; 主にあって　　　　　　坂　達也]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-size: large;"><strong>信仰の言語と量子論と　アネット·キャップス</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: large;"><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>

<p><span style="font-size: small;">アネットさんは言われます。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　「量子論の仕組みは、あまりにも奇妙で奇抜なため、それを表現する言葉がありません。これが、多くの人が量子物理学に興味を持てない理由の一つです。ほとんどの人にとって、量子物理学は理解できないものなのです。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">　私たちが住んでいるこのマクロな世界での素粒子の振る舞いの例を見せれば、理解してもらえると思います。しかし、量子ミクロの世界は、私たちが日々観察している自然(マクロ)の世界とは、上下が逆になっているように見えることがあります。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">　量子物理学を勉強していると、それがとても身近に感じられるようになりました。それは「信仰の言葉」のように聞こえました。私が長年にわたって教えられてきた信仰や告白に関することが、突然、科学的に可能になったのです。イエス様が教えてくださったから信仰で受け入れたことが、まるでイエス様が量子原理の言葉を話しているかのように聞こえたのです。言葉が山を動かすというのは、どれほど奇妙なことなのでしょうか。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">　イエスの言葉を信じるためには、古い考えを捨て、新しい考えを受け入れることが必要です。イエスが教えてくれた言葉は、世間的に見れば無意味なことのように思えますが、イエスは「私たちはこの世のものではない」と言っています。私たちはこの世にいますが、この世のものではありません（ヨハネ17：16）。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">私たちは、イエスが神の国の法則と呼んだ、別の法則の中で活動しているのです。神の国とは、神が住んでいる領域のことです。</span></p>
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<p><span style="font-size: medium;"><strong>異なる領域</strong><strong>  </strong><strong>異なるルール</strong> </span></p>
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<p><span style="font-size: small;">  神の国の法則は説明できません。それは、物質的、物理的なレベルではなく、創造の基礎となる、より高い原理に基づいているからです。創世記第1章には、神が御言葉によって目に見えないものを存在させたことが記されています。言葉目に見えない振動は、明らかに物質を顕在化させたり変化させたりする効果があります。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">  説明のつかないこれらの法則を、あなたはすでに経験しているかもしれません。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">あなたは信仰に基づいて経済的な種を蒔いたことがありますか？10ドルを寄付して、100ドル、1000ドルと豊かになることができるのはどうしてでしょうか。この原理がどのように働くのか、数学的に説明することはできません。しかし、神の国の原理がどのように働くのか、イエスはまさにこのように教えておられるのです。···」</span></p>
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<p><span style="font-size: small;">　以上は Annette Capps  アネット·キャップス師の小冊子の一部から取ったものですが、私はこの方のことを近いうちに出版予定の私の３冊目の本で紹介しています。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　何故この部分だけを引用させていただいたかといえば、実は、今は天に召された私の家内の柚実子が、地元ニューヨークの教会で、今となっては最後の機会をとらへて、一〇１献金がどれほど大切かを皆さんに訴えました。それが私にとっては彼女の遺言であったような強い印象を持ったのです。彼女もこのアネットさんの小さな一文を読んでいたと思いました。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　どうぞ皆様、１０いち献金の尊さを、柚実子からの遺言としてお受け取りくだされば幸いです。</span></p>
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<p><span style="font-size: small;">主にあって　　　　　　坂　達也</span></p>
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