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	<title>WWGM &#187; 坂　柚実子からのメッセージ</title>
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		<title>時は迫っている     　　　　　　　　　　　坂　　達　也                                      ２０２０年６月２３日</title>
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		<pubDate>Tue, 23 Jun 2020 15:35:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[坂　柚実子からのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[時は迫っている &#160; 　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也 &#160; 　先週私は、「終末の日に主だけを見上げる」というメッセージを書きましたが、これに続く格好のメッセージを、たまたま導かれて見つけましたので、今週はそれを載せさせていただきます。 下記のメッセージは２００９年11月7日に私自身が書いたものの一部です。 &#160; 時は迫っている &#160; 　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也 &#160; 　「聖書が何を要求しているかを一言で要約せよ」と言われれば、私は躊躇することなく「創造者の父なる神の御声に聞き従え」であると申し上げます。「聞き従うなら祝福を、従わなければのろいを」（申命記１１：２７，２８）が聖書の単純明快な中心テーマの一つであり、それをこの世で最も忠実に（死に至るまで）実行して私たちのために模範を示されたのがイエス・キリストでした。一方従わねばこうなると言う見せしめを、私たちはイスラエルの長い歴史を通して知ることが出来ます。 &#160; 　そのことに気がついている人は本当に幸いです。今の時代、世の終わりが刻々と近づいて来ていますが、それは人間が自分の思いで自分のために生きた時代、云ってみれば「個人の野心の時代」が終焉すると言う意味です。このことは、当然ながら、自分のために生きるのが通常の未信者の世界に当てはめられますが、私はそれ以上にクリスチャンに向かってそれを申し上げたいのです。 &#160; 真のクリスチャンとは &#160; 　クリスチャンが今最も厳しく反省しなければならないことは、「自分のしたいことをして、何となく自然体で生きている」姿勢です。クリスチャンと云えども放っておけば自然に流されて「個人プレー（自分中心）のかたまり」のまま人間的に生きてしまいます。そのような生き方の正反対が「主の御声に聞き従った毎日」を生きる生き方です。 　そのためには多くの場合、人間が自然に生きる生き方に逆らって生きねばならず、それには大変な信仰による決意と努力が必要です。まさにヨシュア記１：８にある「この律法の書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさなければならない。」の「律法の書」を「御心を知りたいと言う願いと祈り」に置き換えて実行することにあると思います。それは主のご計画にのみ従って生きることをとことん思い詰めることです。 &#160; そのような願いと思いで日夜を過ごせば、常に主に飢え乾き、主を求める生き方になるはずです。いや、逆に真に飢え乾く人でなければそのような願いと思いは持てないかもしれません。いずれにせよ、それ以外の生き方をしている人は主イエスの後を追っている真のクリスチャンとはいえません。この生き方のためにこそ、私たちはイエスの後を追って自分の（自分に死ぬ）十字架を担いで生きねばならないです。そして、これを実行し本当に主の御声を聞く人だけが主に助けていただいて「死ねる」のであると思います。とどのつまりは、人間関係において「自分に死んで主に生きてもらう」ことをどこまで実行するか、実行できるかの問題ではないでしょうか。 &#160; 　イスラエルの民は、自分たちが直接神の御声を聞いて死ぬといけないから、モーセが聞いてそれを民に話してくれるように頼みましたが（出エジプト２０：１９）、これはある意味ではていの良い「逃げ」であり、現代のクリスチャンの多くも教会生活を通してそうしているのではないでしょうか。私たちクリスチャンは誰でも主の御声を直接親しく聞く特権があるだけではなく、それを実行する義務があり、重ねて申し上げますが、そうしなければ基本的にクリスチャンとは言えないのです。 &#160; 　今「先を急いでおられる」主は、そのような人だけを求めておられます。なぜなら、そうでない人は使いものにならないからです。主に用いれられるかどうかは、主の御声に忠実に聞き従うかどうかの一点にしぼられます。 &#160; 　しかし「何かする」ことがクリスチャンの究極の目的ではないと反論される方もおられるでしょう。その通りです。私たちは「イエスのようになる」あるいは「イエスを頭とした一つのからだの一部になる」、「イエスの花嫁になる」ことが最終目的です。つまりは「すること」ではなく、「なること」です。 　しかし、その最終ゴールに達するためにこそ、主は私たちを召して修行させます。それが主の御用をすることである訳です。その一番卑近な例が教会形成（あるいは特別な目的を持ったミニストリー＝例えば私たちのWWGM）とその運営にあります。 　主は、私たちにそれぞれに役割や、仕事を与え、それを私たちが御心に従って逐次実行する時に成果を挙げさせ、成し遂げさせます。すなわち、「・・・になる」ためには「・・・を実行する」と言うドリルを通して訓練されるのです。（終わり）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-size: large;"><strong>時は迫っている</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: large;"><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　先週私は、「終末の日に主だけを見上げる」というメッセージを書きましたが、これに続く格好のメッセージを、たまたま導かれて見つけましたので、今週はそれを載せさせていただきます。</p>
<p>下記のメッセージは２００９年11月7日に私自身が書いたものの一部です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>時は迫っている</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　「聖書が何を要求しているかを一言で要約せよ」と言われれば、私は躊躇することなく「創造者の父なる神の御声に聞き従え」であると申し上げます。<strong>「聞き従うなら祝福を、従わなければのろいを」</strong>（申命記１１：２７，２８）が聖書の単純明快な中心テーマの一つであり、それをこの世で最も忠実に（死に至るまで）実行して私たちのために模範を示されたのがイエス・キリストでした。一方従わねばこうなると言う見せしめを、私たちはイスラエルの長い歴史を通して知ることが出来ます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのことに気がついている人は本当に幸いです。今の時代、世の終わりが刻々と近づいて来ていますが、それは人間が自分の思いで自分のために生きた時代、云ってみれば「個人の野心の時代」が終焉すると言う意味です。このことは、当然ながら、自分のために生きるのが通常の未信者の世界に当てはめられますが、私はそれ以上にクリスチャンに向かってそれを申し上げたいのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: medium;"><strong>真のクリスチャンとは</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　クリスチャンが今最も厳しく反省しなければならないことは、「自分のしたいことをして、何となく自然体で生きている」姿勢です。クリスチャンと云えども放っておけば自然に流されて「個人プレー（自分中心）のかたまり」のまま人間的に生きてしまいます。そのような生き方の正反対が「主の御声に聞き従った毎日」を生きる生き方です。</p>
<p>　そのためには多くの場合、人間が自然に生きる生き方に逆らって生きねばならず、それには大変な信仰による決意と努力が必要です。まさにヨシュア記１：８にある<strong>「この律法の書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさなければならない。」</strong>の「律法の書」を「御心を知りたいと言う願いと祈り」に置き換えて実行することにあると思います。それは主のご計画にのみ従って生きることをとことん思い詰めることです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そのような願いと思いで日夜を過ごせば、常に主に飢え乾き、主を求める生き方になるはずです。いや、逆に真に飢え乾く人でなければそのような願いと思いは持てないかもしれません。いずれにせよ、それ以外の生き方をしている人は主イエスの後を追っている真のクリスチャンとはいえません。この生き方のためにこそ、私たちはイエスの後を追って自分の（自分に死ぬ）十字架を担いで生きねばならないです。そして、これを実行し本当に主の御声を聞く人だけが主に助けていただいて「死ねる」のであると思います。とどのつまりは、人間関係において「自分に死んで主に生きてもらう」ことをどこまで実行するか、実行できるかの問題ではないでしょうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　イスラエルの民は、自分たちが直接神の御声を聞いて死ぬといけないから、モーセが聞いてそれを民に話してくれるように頼みましたが（出エジプト２０：１９）、これはある意味ではていの良い「逃げ」であり、現代のクリスチャンの多くも教会生活を通してそうしているのではないでしょうか。私たちクリスチャンは誰でも主の御声を直接親しく聞く特権があるだけではなく、それを実行する義務があり、重ねて申し上げますが、そうしなければ基本的にクリスチャンとは言えないのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　今「先を急いでおられる」主は、そのような人だけを求めておられます。なぜなら、そうでない人は使いものにならないからです。主に用いれられるかどうかは、主の御声に忠実に聞き従うかどうかの一点にしぼられます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　しかし「何かする」ことがクリスチャンの究極の目的ではないと反論される方もおられるでしょう。その通りです。私たちは「イエスのようになる」あるいは「イエスを頭とした一つのからだの一部になる」、「イエスの花嫁になる」ことが最終目的です。つまりは「すること」ではなく、「なること」です。</p>
<p>　しかし、その最終ゴールに達するためにこそ、主は私たちを召して修行させます。それが主の御用をすることである訳です。その一番卑近な例が教会形成（あるいは特別な目的を持ったミニストリー＝例えば私たちのWWGM）とその運営にあります。</p>
<p>　主は、私たちにそれぞれに役割や、仕事を与え、それを私たちが御心に従って逐次実行する時に成果を挙げさせ、成し遂げさせます。すなわち、「・・・になる」ためには「・・・を実行する」と言うドリルを通して訓練されるのです。（終わり）</p>
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		<item>
		<title>アメリカは「復活祭の日曜日を機に休止状態の経済は      回復に向かう」と大統領はいう   　　　    坂　　達　也　　　　　　　　２０２０年３月２５日</title>
		<link>http://www.banministries.org/?p=3686</link>
		<comments>http://www.banministries.org/?p=3686#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 26 Mar 2020 01:35:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[坂　柚実子からのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[アメリカは「復活祭の日曜日を機に休止状態 　　　　　　　　の経済は回復に向かう」と大統領はいう 　　　　　　　　　　　　　 　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也 &#160; &#160; 　FOX NEWS による先週末の報道によれば、テレビで有名な Dr. Oz は、フランスの医師が二つの既存薬、一つはマラリヤ熱に有効な薬 であるHYDROXYCHLOROGINE、もう一つは既存のフルー（流感）に効くという薬、 AZITHROMYCIN の二つの薬を、既に３０人以上の陽性コロナ患者にコンビネーションで与えた結果が、驚くべきことに、全員投薬後６日目に陽性が陰性になったと発表しました。但し、その報道の終わりに Dr. Oz は、患者でない一般の人が、万が一のために買いだめをすれば、限りがある既存の在庫がたちまち無くなるので、それだけは絶対にしないで欲しいと要請しました。 &#160; 　その Dr. Oz が、本日のインタビュー記事で、トランプ大統領が既に発表した「４月１２日のイースター（復活祭）日曜日までには、現行のコロナウイルス危機によって全ての経済が一時停止している状態から一歩抜け出す兆しが起こる、そして解除に向かうであろう。」と言うトランプ大統領の明るい見通しをどう思うかと言う質問に対して、「それは充分にあり得る」と答えています。 &#160; 　それと同時に、複数のアメリカの薬学研究機関でも同じようなテストが既に始められていて、また、ワクチン開発も進行していると言われるのです。そして、これらの既存薬・適用のアイデアの元は、中国からであるそうです。 &#160; 　私はこの一大危機に際して、目下たけなわのアメリカ大統領選で真っ二つに割れているアメリカ、特に上下両院の政治闘争とメデイア闘争を巧みにリードして、過去になかったような思い切った多額の国民経済援助を通過させようとしているトランプ大統領の努力は高く評価されつつあります。 　私は、前から申し上げているように、トランプ大統領をこの世に送ったのは間違いなく神の叡智による「ご計画」であることを今回改めて確信しました。 &#160; &#160; 神は私たちの信仰と愛を試されている &#160; 　最近のブログでリック・ジョイナー師が言っていましたが、師が、主に「何とかこの世界的なウイルス危機を止めて下さるように」祈った処、その祈りだけはしないようにと、はっきり御声が聞こえるな強さで止められたそうです。 　そして師は、イザヤ書４０：３１「主を待ち望む者は・・・」、詩篇２３：２「主は私を緑の牧場に伏させ・・・」また、ヘブル４、５章、特に４：１「こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っている・・・」を引用して、「安息をもって（安心して）主を待ち望むこと」の大切さ、それが今回の全世界にまん延する深刻な感染病の大流行（pandemic) を与えた目的であると言われたそうです。 　このような pandemic は、確かに私たちに恐れを起こさせます。しかしクリスチャンにとっては、恐れを持つ必要は全くないのです。そのことが１ヨハネ４:１６−１８に次のように書かれていることを思い出して下さい。 &#160; 　「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人にうちにおられます。このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちがさばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」 &#160; 　ですから主は、今回だけではありません、歴史上、今回に匹敵するような恐ろしい伝染病を人類に何回も与えて来られました。それは特に、私たちクリスチャンが真に主キリストを愛し、主への絶対の信仰を持つているかどうかを試すためのテストであると思います。 &#160; 　私たちの住むニューヨークの北の地域は、今アメリカで一番コロナウイルスの危険区域と言われています。そんな中で、孫たちの学校が休校になって二週間経ちました。そこで今は、私たち家族、特に別に住む私と一緒に家の中で集まるのは控えていますが、先週末はたまたますばらしいお天気でしたので、子供二人は自転車と手押しスクーターに乗り、私たち大人３人は２メートルほど離れて、話し合いながら、渓流の側の６−７メートルほどの幅のある散歩道を楽しく日光浴をして歩きました。多くの家族が同じようにやって来て賑わう中でも本当に楽しそうでした。 　私は今の世の中は、あまりにも目まぐるしく、忙しくなり過ぎていて、特に家族が親しく交わり、リクリエーションをする機会が非常に少ないということに気が付き、そんな時にこのように家族が楽しく交わへることを心から神に感謝しました。クリスチャンの家族が、家族だけで聖書を読んだり、祈り合う機会が与えられ、生活が非常に充実したという方々も多くいます。まるで時計を１００年も２００年も前に戻した家族中心の世界です。ハレルヤ（終わり）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><strong>アメリカは「復活祭の日曜日を機に休止状態</strong></p>
<p><strong>　　　　　　　　の経済は回復に向かう」と大統領はいう</strong></p>
<p><strong>　　　　　　　　　　　　　</strong></p>
<p><strong>　</strong></p>
<p><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　FOX NEWS による先週末の報道によれば、テレビで有名な Dr. Oz は、フランスの医師が二つの既存薬、一つはマラリヤ熱に有効な薬 であるHYDROXYCHLOROGINE、もう一つは既存のフルー（流感）に効くという薬、 AZITHROMYCIN の二つの薬を、既に３０人以上の陽性コロナ患者にコンビネーションで与えた結果が、驚くべきことに、全員投薬後６日目に陽性が陰性になったと発表しました。但し、その報道の終わりに Dr. Oz は、患者でない一般の人が、万が一のために買いだめをすれば、限りがある既存の在庫がたちまち無くなるので、それだけは絶対にしないで欲しいと要請しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その Dr. Oz が、本日のインタビュー記事で、トランプ大統領が既に発表した「４月１２日のイースター（復活祭）日曜日までには、現行のコロナウイルス危機によって全ての経済が一時停止している状態から一歩抜け出す兆しが起こる、そして解除に向かうであろう。」と言うトランプ大統領の明るい見通しをどう思うかと言う質問に対して、「それは充分にあり得る」と答えています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それと同時に、複数のアメリカの薬学研究機関でも同じようなテストが既に始められていて、また、ワクチン開発も進行していると言われるのです。そして、これらの既存薬・適用のアイデアの元は、中国からであるそうです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　私はこの一大危機に際して、目下たけなわのアメリカ大統領選で真っ二つに割れているアメリカ、特に上下両院の政治闘争とメデイア闘争を巧みにリードして、過去になかったような思い切った多額の国民経済援助を通過させようとしているトランプ大統領の努力は高く評価されつつあります。</p>
<p>　私は、前から申し上げているように、トランプ大統領をこの世に送ったのは間違いなく神の叡智による「ご計画」であることを今回改めて確信しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>神は私たちの信仰と愛を試されている</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　最近のブログでリック・ジョイナー師が言っていましたが、師が、主に「何とかこの世界的なウイルス危機を止めて下さるように」祈った処、その祈りだけはしないようにと、はっきり御声が聞こえるな強さで止められたそうです。</p>
<p>　そして師は、イザヤ書４０：３１<strong>「主を待ち望む者は・・・」</strong>、詩篇２３：２<strong>「主は私を緑の牧場に伏させ・・・」</strong>また、ヘブル４、５章、特に４：１<strong>「こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っている・・・」</strong>を引用して、「安息をもって（安心して）主を待ち望むこと」の大切さ、それが今回の全世界にまん延する深刻な感染病の大流行（pandemic) を与えた目的であると言われたそうです。</p>
<p>　このような pandemic は、確かに私たちに恐れを起こさせます。しかしクリスチャンにとっては、恐れを持つ必要は全くないのです。そのことが１ヨハネ４:１６−１８に次のように書かれていることを思い出して下さい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人にうちにおられます。このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちがさばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。</strong><strong>愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。</strong><strong>なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>　</strong>ですから主は、今回だけではありません、歴史上、今回に匹敵するような恐ろしい伝染病を人類に何回も与えて来られました。それは特に、私たちクリスチャンが真に主キリストを愛し、主への絶対の信仰を持つているかどうかを試すためのテストであると思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　私たちの住むニューヨークの北の地域は、今アメリカで一番コロナウイルスの危険区域と言われています。そんな中で、孫たちの学校が休校になって二週間経ちました。そこで今は、私たち家族、特に別に住む私と一緒に家の中で集まるのは控えていますが、先週末はたまたますばらしいお天気でしたので、子供二人は自転車と手押しスクーターに乗り、私たち大人３人は２メートルほど離れて、話し合いながら、渓流の側の６−７メートルほどの幅のある散歩道を楽しく日光浴をして歩きました。多くの家族が同じようにやって来て賑わう中でも本当に楽しそうでした。</p>
<p>　私は今の世の中は、あまりにも目まぐるしく、忙しくなり過ぎていて、特に家族が親しく交わり、リクリエーションをする機会が非常に少ないということに気が付き、そんな時にこのように家族が楽しく交わへることを心から神に感謝しました。クリスチャンの家族が、家族だけで聖書を読んだり、祈り合う機会が与えられ、生活が非常に充実したという方々も多くいます。まるで時計を１００年も２００年も前に戻した家族中心の世界です。ハレルヤ（終わり）</p>
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		<title>「主と共に歩く」時がやって来た！（３）     　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也                　　　　２０２０年３月１９日</title>
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		<pubDate>Thu, 19 Mar 2020 22:05:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[坂　柚実子からのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[「主と共に歩く」時がやって来た！（３） &#160; 　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也 &#160; &#160; 　本日３月２０日（日本時間）のアメリカの様子をご報告します。 &#160; 　昨日は、アメリカ中がコロナウイルス問題で完全にパニック状態になっていましたが、今日は一変して、全体のムードとしてはかなり落ち着いて来ました。その形容の仕方が「例えこのウイルスに罹ったとしても、その病状は高熱とか咳が出る程度で、大した事はないー英語でマイルドと言う形容詞を使っていますー、しかも多くの人が２−３週間で治ってしまうと言う受け取り方です。 &#160; 　確かに高齢者では死亡率が罹った人の５５％となっていますが（これはアメリカだけでの話です）といって４０歳以下の若い人でも死亡率は１５％と言います。 　しかし概算で、目下世界中で十五万人がこのウイルスに罹り（検査して陽性と出た人）そのうち５,８００人が死亡、残りの１４万４千人の約半数の７万人が数週間で治ってしまっていると言う感じ（報道の仕方）です。実際には、検査をしない人も多く、その中には罹った人もいるし、しかし、知らないうちに治ってしまっている人も多いとみれば、確かに「それほど大した事はない」とかなり安心するムードでしょうか、 　加えて、ワクチンの試験的製造もどんどん進み、今やアメリカの製薬会社とか研究機関では、早いところで既に１、２社が人間に投与し始めました。 &#160; 　従って私自身昨日申し上げたように、最初に紹介したショーン・ボルツ師の預言はかなり正確な預言であったと思います。 &#160; 　取り急ぎ以上ご報告とします。（終わり）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><strong>「主と共に歩く」時がやって来た！（３）</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>　</strong>本日３月２０日（日本時間）のアメリカの様子をご報告します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　昨日は、アメリカ中がコロナウイルス問題で完全にパニック状態になっていましたが、今日は一変して、全体のムードとしてはかなり落ち着いて来ました。その形容の仕方が「例えこのウイルスに罹ったとしても、その病状は高熱とか咳が出る程度で、大した事はないー英語でマイルドと言う形容詞を使っていますー、しかも多くの人が２−３週間で治ってしまうと言う受け取り方です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　確かに高齢者では死亡率が罹った人の５５％となっていますが（これはアメリカだけでの話です）といって４０歳以下の若い人でも死亡率は１５％と言います。</p>
<p>　しかし概算で、目下世界中で十五万人がこのウイルスに罹り（検査して陽性と出た人）そのうち５,８００人が死亡、残りの１４万４千人の約半数の７万人が数週間で治ってしまっていると言う感じ（報道の仕方）です。実際には、検査をしない人も多く、その中には罹った人もいるし、しかし、知らないうちに治ってしまっている人も多いとみれば、確かに「それほど大した事はない」とかなり安心するムードでしょうか、</p>
<p>　加えて、ワクチンの試験的製造もどんどん進み、今やアメリカの製薬会社とか研究機関では、早いところで既に１、２社が人間に投与し始めました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　従って私自身昨日申し上げたように、最初に紹介したショーン・ボルツ師の預言はかなり正確な預言であったと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　取り急ぎ以上ご報告とします。（終わり）</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>「主と共に歩く」時がやって来た！（２）     　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也                  　　　　　　  ２０２０年３月１８日</title>
		<link>http://www.banministries.org/?p=3679</link>
		<comments>http://www.banministries.org/?p=3679#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 19 Mar 2020 02:07:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[坂　柚実子からのメッセージ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.banministries.org/?p=3679</guid>
		<description><![CDATA[「主と共に歩く」時がやって来た！（２） &#160; 　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也 &#160; &#160; ３月１８日の掲題のメッセージに追伸として加えさせていただきます。 &#160; １）ボルツ師の預言に関しては、今のところの結論として、私はこのコロナウイルスの問題はあと１−二ヶ月で峠を越え引潮になると言う預言は正しいと信じます。リック・ジョイナー師もそのような感じで進行してゆくと見ています。但しすぐ終わる訳ではなく、流感と同じで夏は一時的に消えても翌年冬に再発することが予期され、しかしそれまでにはワクチンが出て来ることを期待したいと思います。 　特にワクチンの開発は目下アメリカでも２−３社が開発を終えて人体実験を始める段階に入ったと言い、世界中でどんどん開発が急がれていますから、暖かい季節を迎えることも考慮して次第に静まる方向に行きそうです。 &#160; ２）アメリカ国内の情報は明日改めてご報告します。 &#160; ３）私はこのWWGMのブログは、毎週一回を目標として来ましたが、現在は非常事態でもあり、必要に応じて毎日でもメッセージを書かせていただきます、従って少なくとも明日は別のレポートを出しますのでご高覧ください。 &#160; 　以上です。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-size: large;"><strong>「主と共に歩く」時がやって来た！（２）</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: large;"><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>３月１８日の掲題のメッセージに追伸として加えさせていただきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>１）ボルツ師の預言に関しては、今のところの結論として、私はこのコロナウイルスの問題はあと１−二ヶ月で峠を越え引潮になると言う預言は正しいと信じます。リック・ジョイナー師もそのような感じで進行してゆくと見ています。但しすぐ終わる訳ではなく、流感と同じで夏は一時的に消えても翌年冬に再発することが予期され、しかしそれまでにはワクチンが出て来ることを期待したいと思います。</p>
<p>　特にワクチンの開発は目下アメリカでも２−３社が開発を終えて人体実験を始める段階に入ったと言い、世界中でどんどん開発が急がれていますから、暖かい季節を迎えることも考慮して次第に静まる方向に行きそうです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>２）アメリカ国内の情報は明日改めてご報告します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>３）私はこのWWGMのブログは、毎週一回を目標として来ましたが、現在は非常事態でもあり、必要に応じて毎日でもメッセージを書かせていただきます、従って少なくとも明日は別のレポートを出しますのでご高覧ください。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　以上です。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>「主と共に歩く」時がやって来た！     　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也                 　　　 ２０２０年３月１８日</title>
		<link>http://www.banministries.org/?p=3674</link>
		<comments>http://www.banministries.org/?p=3674#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 19 Mar 2020 00:18:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[坂　柚実子からのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[「主と共に歩く」時がやって来た！ &#160; 　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也 &#160; &#160; 　今回のコロナ・ウイルス騒ぎは一体何を意味するのでしょうか。私はショーン・ボルツ師の預言をご紹介しましたが、今世界中が、世の終わりが来るかのような前代未聞の恐慌に襲われています。 　この新しい疫病によって、世界中の国で、既に多大な人の命が取られているだけでなく、それが止まるところが見えない状況にあります。それだけではありません。世界中の交通機関から教育制度に至るまで完全に麻痺状態にあり、加えて経済面でも、あらゆる地域、業種、階層において、未だかってなかった程の打撃を受け、それによる政治の困難と混迷は、遂に人々を混乱と恐怖のどん底にまで落とし込んでいると言って過言ではありません。 &#160; 　それが何を意味するのでしょうか？　本当に「世の終わりの裁きの時」が間近であることを思もわせることが今起こっているーーそれは確かです。しかし、世の終わりが来る前に、主が一大リバイバルを起こされることも、それと同じ位確かなことであることは、クリスチャンであれば知らない人はいない筈です。なぜなら聖書にそれが、繰り返し、はっきりと書かれているからです。 　加えて、その一大アウエイクニングとリバイバルがいよいよ２０２０年から始まるーいや、既に始まっていると、多くの預言者が語っていることもご紹介しました。 &#160; 　私は、そのリバイバルが始まるに当たっての「警鐘のラッパ」が今高らかに鳴らされているーーそれがコロナ・ウイルス騒ぎであると信じます。 &#160; 　今の世界情勢は極端に言えば、人間はこれから一ヶ月後、或は１分後ですら何が突発的に起こるかも分かりません。しかし主はいつも何事もご存知です。そうであるなら、私たち、特にクリスチャンにとって 絶対安全で、ベストで、しかも確実な方法が一つだけあります。それは「主と共に歩く」ことです。 &#160; 　私たちはいつも主に寄り添って全てにおいて何をしたら良いかを主に聞き、会話しながら歩く位、間違いのない生き方はありません。ーそれはちょうど、よちよち歩きの幼い子供に親が側に寄り添い、手を取って歩く姿と似ています。主もそれを何よりも望んでおられるのです。 &#160; 　実は、それをモットーとし、また目標として掲げ、私たちのミニストリー名は Walk With God Ministries と名付けられましたが、今程それが必要である時代は過去にはありませんでした。どうぞすべてを主に聞いて聖霊の油注ぎの中ですべてを行おうではありませんか。 &#160; 　また、その「主と共に歩む」ことをイエス・キリストご自身が、ヨハネ５：１９、２０で示してくれました。  「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。・・・」 　これは私たちが通常、神の示されることを夢とか幻で見て預言的に受け取り、それに従って「預言に忠実に生きなければならない」ことを示していないでしょうか。正確な預言を個人的にも毎日受け取らねばなりません。同時にまた、間違いのない預言者からの預言も常に吟味して求め、受け取って生きなければならないことを意味しています。自分の思い、希望、考えだけで生きてはいけないのです。 　その主の言われることに忠実に従いながら行動することの重要性と方法を使徒のペテロから学ぶことができます。 &#160; &#160; ペテロのやり方で物事を進めよう &#160; 　弟子たちがイエスが水の上を歩いているのを見て、ペテロが「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになって下さい。」とお願いし、イエスが「来なさい。」と言われたので、ペテロは水の上を歩いてイエスの方に行ったのです。（マタイ１４章） &#160; 　ところがです。風が吹いて来て怖くなったので、彼は沈みかけました。そこでペテロは「主よ。助けて下さい。」と叫び、イエスは、すぐに手を伸ばして彼をつかんで「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」とペテロを諫めましたね。 &#160; 　この話でご注目いただきたいことは、ペテロは自分の考えで水の上を歩いたのではないことです。私たちクリスチャンは、自分の考えで行動することは絶対に禁物であるのです。（ほとんどの人は自分が生きています。そのようなクリスチャンを別名、宗教的クリスチャンと言う事はご存知ですね。）であれば、たとえ自分でも水の上を歩きたいと思っても、「先ず主に聞いて、主の命令に従う形でしか、ことを起こさない」ーこれがクリスチャンの鉄則であることです。その理由は、 私たちは主と共に死んで主と共によみがえった人間であるからです。あるいは「イエスにおいて」しか生きない人間であるからです。 &#160; 　このお話は今起こっているコロナ・ウイルスに少しでも恐れを持つ者（私も含め）に当てはめられます。神がこのウイルス旋風を世界に与えた理由と目的がここにあると私は思います。 　これは、人間なら誰でも真に神に頼る信仰を持たない者は生き残れないことを世に示しておられるーすなわち、これから主が起こされる大アウエイクニングには、真の信仰を持つていない単なる「宗教的なクリスチャン」も霊的喚起が絶対に必要であるということであり、そのようなアウエイクニングされたクリスチャンこそが、これから起こる最後の大リバイバルを主にあって起こし、ボブ・ジョーンズ師の言われる１０億の未信者を導くために絶対に必要であることを、主は示しておられると信じます。 　古い言い方で恐縮ですが、言ってみれば、大リバイバルの宣戦布告に際しての戦う勇士への「赤紙召集」であると私は考えます。 　最後に神は、ご存知のように、私たちクリスチャンの信仰がいかに重要であるかを、詩篇９１で教え、強調しておられることにご注目下さい。 　詩篇９１:１−１１「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の影に宿る。 　　私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」 　　と。 　　主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからであ 　　る。 　　主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。 　　あなたは、その翼の下に身を避ける。 　　主の真実は、大楯であり、とりでである。 　　あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。 　　また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びおも。 　　千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-size: large;"><strong>「主と共に歩く」時がやって来た！</strong></span></p>
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<p><span style="font-size: large;"><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　達　也</strong></span></p>
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<p>　今回のコロナ・ウイルス騒ぎは一体何を意味するのでしょうか。私はショーン・ボルツ師の預言をご紹介しましたが、今世界中が、世の終わりが来るかのような前代未聞の恐慌に襲われています。</p>
<p>　この新しい疫病によって、世界中の国で、既に多大な人の命が取られているだけでなく、それが止まるところが見えない状況にあります。それだけではありません。世界中の交通機関から教育制度に至るまで完全に麻痺状態にあり、加えて経済面でも、あらゆる地域、業種、階層において、未だかってなかった程の打撃を受け、それによる政治の困難と混迷は、遂に人々を混乱と恐怖のどん底にまで落とし込んでいると言って過言ではありません。</p>
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<p>　それが何を意味するのでしょうか？　本当に「世の終わりの裁きの時」が間近であることを思もわせることが今起こっているーーそれは確かです。しかし、世の終わりが来る前に、主が一大リバイバルを起こされることも、それと同じ位確かなことであることは、クリスチャンであれば知らない人はいない筈です。なぜなら聖書にそれが、繰り返し、はっきりと書かれているからです。</p>
<p>　加えて、その一大アウエイクニングとリバイバルがいよいよ２０２０年から始まるーいや、既に始まっていると、多くの預言者が語っていることもご紹介しました。</p>
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<p>　私は、そのリバイバルが始まるに当たっての「警鐘のラッパ」が今高らかに鳴らされているーーそれがコロナ・ウイルス騒ぎであると信じます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　今の世界情勢は極端に言えば、人間はこれから一ヶ月後、或は１分後ですら何が突発的に起こるかも分かりません。しかし主はいつも何事もご存知です。そうであるなら、私たち、特にクリスチャンにとって 絶対安全で、ベストで、しかも確実な方法が一つだけあります。それは「主と共に歩く」ことです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　私たちはいつも主に寄り添って全てにおいて何をしたら良いかを主に聞き、会話しながら歩く位、間違いのない生き方はありません。ーそれはちょうど、よちよち歩きの幼い子供に親が側に寄り添い、手を取って歩く姿と似ています。主もそれを何よりも望んでおられるのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実は、それをモットーとし、また目標として掲げ、私たちのミニストリー名は Walk With God Ministries と名付けられましたが、今程それが必要である時代は過去にはありませんでした。どうぞすべてを主に聞いて聖霊の油注ぎの中ですべてを行おうではありませんか。</p>
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<p>　また、その「主と共に歩む」ことをイエス・キリストご自身が、ヨハネ５：１９、２０で示してくれました。</p>
<p> <strong>「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。・・・」</strong></p>
<p><strong>　</strong>これは私たちが通常、神の示されることを夢とか幻で見て預言的に受け取り、それに従って「預言に忠実に生きなければならない」ことを示していないでしょうか。正確な預言を個人的にも毎日受け取らねばなりません。同時にまた、間違いのない預言者からの預言も常に吟味して求め、受け取って生きなければならないことを意味しています。自分の思い、希望、考えだけで生きてはいけないのです。</p>
<p>　その主の言われることに忠実に従いながら行動することの重要性と方法を使徒のペテロから学ぶことができます。</p>
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<p><span style="font-size: medium;"><strong>ペテロのやり方で物事を進めよう</strong></span></p>
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<p>　弟子たちがイエスが水の上を歩いているのを見て、ペテロが<strong>「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになって下さい。</strong>」とお願いし、イエスが<strong>「来なさい。」</strong>と言われたので、ペテロは水の上を歩いてイエスの方に行ったのです。（マタイ１４章）</p>
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<p>　ところがです。風が吹いて来て怖くなったので、彼は沈みかけました。そこでペテロは<strong>「主よ。助けて下さい。」</strong>と叫び、イエスは、すぐに手を伸ばして彼をつかんで<strong>「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」</strong>とペテロを諫めましたね。</p>
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<p>　この話でご注目いただきたいことは、ペテロは自分の考えで水の上を歩いたのではないことです。私たちクリスチャンは、自分の考えで行動することは絶対に禁物であるのです。（ほとんどの人は自分が生きています。そのようなクリスチャンを別名、宗教的クリスチャンと言う事はご存知ですね。）であれば、たとえ自分でも水の上を歩きたいと思っても、「<strong>先ず主に聞いて、主の命令に従う形でしか、ことを起こさない</strong>」ーこれが<strong>クリスチャンの鉄則</strong>であることです。その理由は、 私たちは主と共に死んで主と共によみがえった人間であるからです。あるいは「イエスにおいて」しか生きない人間であるからです。</p>
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<p>　このお話は今起こっているコロナ・ウイルスに少しでも恐れを持つ者（私も含め）に当てはめられます。神がこのウイルス旋風を世界に与えた理由と目的がここにあると私は思います。</p>
<p>　これは、人間なら誰でも真に神に頼る信仰を持たない者は生き残れないことを世に示しておられるーすなわち、これから主が起こされる大アウエイクニングには、真の信仰を持つていない単なる「宗教的なクリスチャン」も霊的喚起が絶対に必要であるということであり、そのようなアウエイクニングされたクリスチャンこそが、これから起こる最後の大リバイバルを主にあって起こし、ボブ・ジョーンズ師の言われる１０億の未信者を導くために絶対に必要であることを、主は示しておられると信じます。</p>
<p>　古い言い方で恐縮ですが、言ってみれば、大リバイバルの宣戦布告に際しての戦う勇士への「赤紙召集」であると私は考えます。</p>
<p>　最後に神は、ご存知のように、私たちクリスチャンの信仰がいかに重要であるかを、詩篇９１で教え、強調しておられることにご注目下さい。</p>
<p>　詩篇９１:１−１１<strong>「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の影に宿る。</strong></p>
<p><strong>　　私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」</strong></p>
<p><strong>　　と。</strong></p>
<p><strong>　　主は狩人のわなから、</strong><strong>恐ろしい疫病から、あなたを救い出される</strong><strong>からであ</strong></p>
<p><strong>　　る。</strong></p>
<p><strong>　　主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。</strong></p>
<p><strong>　　あなたは、その翼の下に身を避ける。</strong></p>
<p><strong>　　主の真実は、大楯であり、とりでである。</strong></p>
<p><strong>　　あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。</strong></p>
<p><strong>　　また、</strong><strong>暗やみに歩き回る疫病も</strong><strong>、真昼に荒らす滅びおも。</strong></p>
<p><strong>　　千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、</strong></p>
<p><strong>　　それはあなたには、近づかない。あなたはただ、それを目にし、</strong></p>
<p><strong>　　悪者への報いを見るだけである。</strong></p>
<p><strong>　　それはあなたが私の避け所である主を、</strong></p>
<p><strong>　　いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。</strong></p>
<p><strong>　　</strong><strong>わざわいは、あなたにふりかからずえやみも、あなたの天幕に近づかない</strong><strong>。</strong></p>
<p><strong>　　まことに主は、あなたのために、</strong><strong>御使いたちに命じて、すべての道で、</strong></p>
<p><strong>　　</strong><strong>あなたを守るようにされる</strong><strong>。</strong>（終わり）</p>
]]></content:encoded>
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		<title>２０１８年秋の日本訪問を終えて（３）     　　　　　　　　　坂　　達　也　　　２０１８年１１月２５日</title>
		<link>http://www.banministries.org/?p=3399</link>
		<comments>http://www.banministries.org/?p=3399#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 27 Nov 2018 02:25:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[坂　柚実子からのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[２０１８年秋の日本訪問を終えて（３） &#160; 　　　　　　　　　坂　　達　也 &#160; &#160; 霊の目が見え、霊の耳が聞こえるようになる訓練 &#160; 　エペソ人への手紙１：１８に「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって・・・」と書かれていますが、それがどういう意味かお分かりでしょうか。喩えるならば、あなたが誰か高貴な人を後ろの座席にお乗せして車を運転しているとします。その時あなたは後ろは見えなくても、そこにその方がいることを実にリアルに感じるはずです。その方がイエス様であれば尚更です。これは「あなたが主の臨在を心の目で見ているから」と言えないでしょうか。そうであれば「心の目で見る」こととは、そんなに難しいことではないはずです。 　しかし主は「・・・彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。」（マタイ１３：１３）と嘆かれました。その後に続いて「あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見ているが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。」と主は叱責され、イザヤ６：９の預言が成就したと言われました。この叱責は私たち多くのクリスチャンに対して当てはまります。 　これからしても先週の報告（２）の冒頭で私が述べたように、人間がこの世に生まれた目的を果たすためには私たちの霊の目と霊の耳を訓練することがまず最低限必要であることが分かります。そして、多くのクリスチャンは分かってはいても、いつまでたってもそれができないのです。「でも私は聖書を既に何度も読んだのになぜできないのか」と言われるかも知れません。その理由は、聖書を只読むだけでは単に頭の知識として知っているだけで「絵に描いた餅」に過ぎず、実際に訓練しなければ「霊の目、霊の耳」は出来てこないのです。 　それではどうすればよいのでしょうか。それは全ての技術習得に通じますが、訓練です。そこで私は今回の旅行でその訓練の方法の一例として私自身の経験をお分かちしました。 &#160; 霊的な意識と感覚を磨ぐ訓練 &#160; １）先ず第一に「私はどうしても主の御声を聞きたい、御姿を見たい」と日夜願い、主にしつこく嘆願することから始めなければなりません。断食祈祷もよいでしょう。問題は「やる気」と「決意」です。それには持続する情熱が必要です。 &#160; ２）次にどこに行くにも必ずノートと筆記用具を携帯する。特に、寝る前にベッドの横にノートを用意しておくことから始めてください。その理由は、人間は自分の意思とは無関係に夢を見ますが、時に神は夢とか幻で私たちに伝えたい「メッセージ」を見せてくれます。しかし問題は、多くの場合朝起きた時、肝心の夢の内容を忘れてしまうーそんな経験をしたことがありませんか。従って、ノートを用意し「主よ、その時は必ず起こしてください。」と日頃お願いしていれば、主は起こしてくださり、書き留めることができるようになります。これは「意識の訓練」と言えますが、大切なことは、書き取った主からのメッセージを何度も見直すこと、そして、必ず実行に移すことです。 &#160; ３）主は多くの場合、不意に全く予期していないときに語られます。しかし、それが本当に「主からだ！」と気づくためには、いつも主への意識と期待を持っていなければなりません。私にとっては、これこそが「常に主と共に歩む」ための最も重要な訓練であると思っています。そして主が語られたことを、出来るだけ早くノートに書き付けます。私はこのために今回日本でポケットに入る小さなノートブックを追加で入手しそれ一杯に走り書きしました。ある時は紙が無くて咄嗟に近くにあった買い物の包み紙の上に書きました。大事なことは、それらのノートを時間ができた時に、毎日付ける日記に書き写し、時折、見返すことです。 　特に、礼拝で説教を聞いているとき、あるいは人の話を聞いている最中に、主がその話している人を通して「あなたへのメッセージ」を語って下さいます。これはその場に聖霊が溢れているような時によく起こります。 　くどいようですが、なぜノートを取る必要があるのでしょうか。それは、そうすることによって私たちが誠心誠意主のお話を一つでも聞き漏らさないという「決意・決行の態度」を主が大変喜ばれるからです。そうすると主は常に私たちと歩きながら、どんどん語ってくれるようになります。 　私はこの方法をリック・ジョイナー師から学びました。彼はそうすることによって段々に主から預言をいただけるようになった言われます。 　勿論、私が今ご紹介した方法は、むしろ補助的な意味で申し上げたのであって、要は、いつも栄光の主を心で見上げ、意識して「絶えず賛美し、祈る」ことにあることは言うまでもありません。そしてその目的が、主との絶え間ない個人的なコミュニケーションを持つことを助長する「主と共に歩む」訓練であるからです。 マタイ６章にある「主の祈り」を祈る大切さ &#160; 　今回、私が日本で語らせていただいたメッセージの一つに「主の祈り」の大切さがあります。そこで重要なことは、当時の使徒たちが、他のことはともかく、敢えて主に「祈り方」を教えて欲しいと願い出たことです。皆さんなら何を主に教授して欲しいとお願いするでしょうか。「あらゆる病気の癒し方」「悪霊追い出し」や「死人を蘇らす方法」あるいは「風とか湖水を静めること（自然に向かって命令すること）」でしょうか。主イエスはこれらを全て弟子の見ている前でなさいました。弟子はそれ等が全て信仰さえあれば可能であることを実習訓練を通して学び納得していたのです。その上で何をどうしても主から学びたかったのでしょうかーーそれは「主の祈り方とその態度」であったと思います。主は人里離れた場所で一人になり、天の父と向き合うその真剣で熱烈・真摯な主の姿を見ていたからです。 &#160; 　主の祈りとは元々マタイ６：６にあるように「祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。・・そうすれば報いてくださいます。」と主が言われる祈りです。ところが多くの教会では、毎週日曜日の礼拝時に全員で声を出して祈リます。残念なことに、それは形式的、宗教的な虚ろの祈りになってしまっていないでしょうか。 　むしろ主の祈りとは本来、私たち神の子と御父との深い絆の関係、すなわち真のコイノニアの祈りであり、完全な霊の祈りであると思います。 &#160; 　そこで主が教えてくださった祈りを見てみましょう。ここで一つ重要なことは、これは主が祈れと言われた祈りですから、この祈りを正しく信仰で祈れば間違いなく聞かれるはずであることです。ですから主は今回最初に私が訪ねた教会に行く前に「主の祈り」を「こんなうまい話はない。」と前置きして語りなさいと、おっしゃいました。しかしその意味するところが、実はとても深いことが段々と示され、旅の終わりには予想もしなかった究極の真理を教えられました。 &#160; 　６：９「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますようよ。」ーーこれは親密な父と子の間にだけある深い愛の告白、それは私たちが持つ御父への心からの敬慕と栄光を讃える祈りであると思います。ビル・ジョンソン師は、父とそのような関係に入るには、父との間に「継ぎ目のないつながり seamless connection」を築くことであると言い、その例としてヨハネ１５章で主が例えられた「ぶどうの木と枝の関係」を挙げています。私たちと主がいつもつながっていれば、何もしないでもそれだけで多くの実を結ぶ、同時に主は「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」と言われたことは本当に心すべきです。 &#160; 　６：１０「御国がきますように。御心が天で行われるように地でも行われますように。」ーー私たちがこの祈りを祈れば、天に行かなくとも、その前にこの世が天のようになり、すべて御心が行われるようになるのですから、こんな素晴らしい話はありません。しかし、私は思わされました。ーこの祈りを私たちに教えられた主イエスは、ゲッセマネで弟子たちが見ている前で「わが父よ。できますならば、この盃をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」と祈られたことを。（マタイ２６：３９）そうであるなら、私たちもこの祈りを祈る時、この地で私たちの願いが実現するために祈るのではなく、すべてのことが主の御心でなされることを願う祈りとして祈るべきではないでしょうか。キリスト者である私たちは、主と共に十字架について死に、主と共によみがえって、今は一心同体で生きているのですから。 &#160; 　６：１１「私たちの日毎の糧をきょうもお与えください。」ーー６：８で「父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」と書かれていますから、私たちに日毎必要な肉の糧はすべて必ず与えられます。しかし１０節の祈りと同じく、私たちが望むものではなく、すべて神が与えて下さるもので満足すると決意して祈ることが重要なポイントですし、その祈りが神に栄光を与えるだけでなく、私たちにとっても究極的に最高の結果を得ることになることであることを思わされました。 &#160; 　６：１２「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」ーー主イエスはすべての人間の罪（負いめ）を赦すために死なれました。そうであれば私たちが、主に忠実に従う弟子であり、また永遠に主の花嫁として一心同体となるのであれば尚更のこと、単に私たちに負いめのある人だけを赦すのではなく、一見負めのないすべての他人の罪をも、主が赦されたと同じように赦すべきではないのでしょうか。そのことがマタイ６：１４、１５に書いてあります。 　そうであるなら一番赦せないのが夫婦となった相手であり、加えて一番親しいはずの肉の兄弟姉妹とか、家族の間での不和話が絶えないのがこの世の現実であるというのはどうしてでしようか。神がこの世を造り、最初の人間に罪を犯させた上で、そんな罪だらけのこの世に人を生まれさせて苦労させることに目的があるのではないでしょうか。 　人間を男と、そして男の一部から女を造り、その一対の男女から子供が生まれ、それが家族となって子孫を残すようにされたことには、本当に深い意味があると思いませんか。この「夫婦関係」はこの世だけのもので天に戻れば解消されます。これからしても私が先週書いた報告（２）の冒頭で述べたように、「天で霊と魂で生まれた人間に、創造主の神は霊的成熟を目的として一時的にこの世に生まれさせ、苦労をさせて霊的訓練するのがこの世で生きる目的である」と申し上げたことが事実であると思いませんか。 &#160; ６：１３「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」ーー 「私たちを試みに会わせないで」という意味は、私たちが耐えられないような試練には会わせないように」という意味です。そのことは１コリント１０：１３に書かれていますが、私たちに霊的訓練をさせることの目的がヤコブ書１：２−４、１２に次のように書かれています。 「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つかけたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。・・・試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」 &#160; 　上記のみ言葉は前にも書きましたが、エノクを思い起こさせます。エノクは主にあっていつも喜んでいました。それで彼は死を経験することなく、天に挙げられたのです。それによってエノクは「主とともに歩んだ」人と書かれています。 　ご参考までに、「私たちが主に喜ばれるクリスチャンになるとは、どのような人間になるのか」について使徒パウロが次のように言っています。「私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」（ロマ書１４：７、８） 　そのようなクリスチャンになれば、勿論主は必ずいかなる悪魔の攻撃からも守って下さることは言うまでもありません。しかし主は私たち自身が主の御名で悪魔勢に勝利することを望んでおられます。なぜなら主イエスが既に勝っておられるからです。 &#160; 　これで今回の日本旅行の報告を一応終らせていただきます。今回は各地で心から主に飢え渇いておられる方々がお集まりいただき、どの集会にも真ん中に立って喜んでおられる主のご臨在を強く感じましたことは、私たち夫婦にとってこの上ない励ましとなりました。その集会でいただいた油注ぎと、多くのWWGMの皆様のお祈りが相まって、来日前に患った私の軽い脳梗塞の症候が旅の終わりには全くと言ってよいほど無くなり、元気回復しました。最後にそのことをお伝えすると共に、主にあって心から厚く御礼申し上げます。 　リバイバルの兆しは日に日に増して来ています。主がそのための備えとして発せられた「大宣教命令」に今、呼応する選ばれた精鋭が続々と起こされつつあることを今回日本でも目の当たりに見させていただき、心からお喜び申し上げます。（終わり）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><span style="font-size: large;"><strong>２０１８年秋の日本訪問を終えて（３）</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: large;"><strong>　　　　　　　　　坂　　達　也</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>霊の目が見え、霊の耳が聞こえるようになる訓練</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　エペソ人への手紙１：１８に<strong>「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって・・・」</strong>と書かれていますが、それがどういう意味かお分かりでしょうか。喩えるならば、あなたが誰か高貴な人を後ろの座席にお乗せして車を運転しているとします。その時あなたは後ろは見えなくても、そこにその方がいることを実にリアルに感じるはずです。その方がイエス様であれば尚更です。これは「あなたが主の臨在を心の目で見ているから」と言えないでしょうか。そうであれば「心の目で見る」こととは、そんなに難しいことではないはずです。</p>
<p>　しかし主は<strong>「・・・彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。」</strong>（マタイ１３：１３）と嘆かれました。その後に続いて<strong>「あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見ているが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。」</strong>と主は叱責され、イザヤ６：９の預言が成就したと言われました。この叱責は私たち多くのクリスチャンに対して当てはまります。</p>
<p>　これからしても先週の報告（２）の冒頭で私が述べたように、人間がこの世に生まれた目的を果たすためには私たちの霊の目と霊の耳を訓練することがまず最低限必要であることが分かります。そして、多くのクリスチャンは分かってはいても、いつまでたってもそれができないのです。「でも私は聖書を既に何度も読んだのになぜできないのか」と言われるかも知れません。その理由は、聖書を只読むだけでは単に頭の知識として知っているだけで「絵に描いた餅」に過ぎず、実際に訓練しなければ「霊の目、霊の耳」は出来てこないのです。</p>
<p>　それではどうすればよいのでしょうか。それは全ての技術習得に通じますが、訓練です。そこで私は今回の旅行でその訓練の方法の一例として私自身の経験をお分かちしました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>霊的な意識と感覚を磨ぐ訓練</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>１）先ず第一に「私はどうしても主の御声を聞きたい、御姿を見たい」と日夜願い、主にしつこく嘆願することから始めなければなりません。断食祈祷もよいでしょう。問題は「やる気」と「決意」です。それには持続する情熱が必要です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>２）次にどこに行くにも必ずノートと筆記用具を携帯する。特に、寝る前にベッドの横にノートを用意しておくことから始めてください。その理由は、人間は自分の意思とは無関係に夢を見ますが、時に神は夢とか幻で私たちに伝えたい「メッセージ」を見せてくれます。しかし問題は、多くの場合朝起きた時、肝心の夢の内容を忘れてしまうーそんな経験をしたことがありませんか。従って、ノートを用意し「主よ、その時は必ず起こしてください。」と日頃お願いしていれば、主は起こしてくださり、書き留めることができるようになります。これは「意識の訓練」と言えますが、大切なことは、書き取った主からのメッセージを何度も見直すこと、そして、必ず実行に移すことです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>３）主は多くの場合、不意に全く予期していないときに語られます。しかし、それが本当に「主からだ！」と気づくためには、いつも主への意識と期待を持っていなければなりません。私にとっては、これこそが「常に主と共に歩む」ための最も重要な訓練であると思っています。そして主が語られたことを、出来るだけ早くノートに書き付けます。私はこのために今回日本でポケットに入る小さなノートブックを追加で入手しそれ一杯に走り書きしました。ある時は紙が無くて咄嗟に近くにあった買い物の包み紙の上に書きました。大事なことは、それらのノートを時間ができた時に、毎日付ける日記に書き写し、時折、見返すことです。</p>
<p>　特に、礼拝で説教を聞いているとき、あるいは人の話を聞いている最中に、主がその話している人を通して「あなたへのメッセージ」を語って下さいます。これはその場に聖霊が溢れているような時によく起こります。</p>
<p>　くどいようですが、なぜノートを取る必要があるのでしょうか。それは、そうすることによって私たちが誠心誠意主のお話を一つでも聞き漏らさないという「決意・決行の態度」を主が大変喜ばれるからです。そうすると主は常に私たちと歩きながら、どんどん語ってくれるようになります。</p>
<p>　私はこの方法をリック・ジョイナー師から学びました。彼はそうすることによって段々に主から預言をいただけるようになった言われます。</p>
<p>　勿論、私が今ご紹介した方法は、むしろ補助的な意味で申し上げたのであって、要は、いつも栄光の主を心で見上げ、意識して「絶えず賛美し、祈る」ことにあることは言うまでもありません。そしてその目的が、主との絶え間ない個人的なコミュニケーションを持つことを助長する「主と共に歩む」訓練であるからです。</p>
<p><strong>マタイ６章にある「主の祈り」を祈る大切さ</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　今回、私が日本で語らせていただいたメッセージの一つに「主の祈り」の大切さがあります。そこで重要なことは、当時の使徒たちが、他のことはともかく、敢えて主に「祈り方」を教えて欲しいと願い出たことです。皆さんなら何を主に教授して欲しいとお願いするでしょうか。「あらゆる病気の癒し方」「悪霊追い出し」や「死人を蘇らす方法」あるいは「風とか湖水を静めること（自然に向かって命令すること）」でしょうか。主イエスはこれらを全て弟子の見ている前でなさいました。弟子はそれ等が全て信仰さえあれば可能であることを実習訓練を通して学び納得していたのです。その上で何をどうしても主から学びたかったのでしょうかーーそれは「主の祈り方とその態度」であったと思います。主は人里離れた場所で一人になり、天の父と向き合うその真剣で熱烈・真摯な主の姿を見ていたからです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　主の祈りとは元々マタイ６：６にあるように<strong>「祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。・・そうすれば報いてくださいます。」</strong>と主が言われる祈りです。ところが多くの教会では、毎週日曜日の礼拝時に全員で声を出して祈リます。残念なことに、それは形式的、宗教的な虚ろの祈りになってしまっていないでしょうか。</p>
<p>　むしろ主の祈りとは本来、私たち神の子と御父との深い絆の関係、すなわち真のコイノニアの祈りであり、完全な霊の祈りであると思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そこで主が教えてくださった祈りを見てみましょう。ここで一つ重要なことは、これは主が祈れと言われた祈りですから、この祈りを正しく信仰で祈れば間違いなく聞かれるはずであることです。ですから主は今回最初に私が訪ねた教会に行く前に「主の祈り」を「こんなうまい話はない。」と前置きして語りなさいと、おっしゃいました。しかしその意味するところが、実はとても深いことが段々と示され、旅の終わりには予想もしなかった究極の真理を教えられました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　６：９<strong>「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますようよ。」</strong>ーーこれは親密な父と子の間にだけある深い愛の告白、それは私たちが持つ御父への心からの敬慕と栄光を讃える祈りであると思います。ビル・ジョンソン師は、父とそのような関係に入るには、父との間に「継ぎ目のないつながり seamless connection」を築くことであると言い、その例としてヨハネ１５章で主が例えられた「ぶどうの木と枝の関係」を挙げています。私たちと主がいつもつながっていれば、何もしないでもそれだけで多くの実を結ぶ、同時に主は「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」と言われたことは本当に心すべきです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　６：１０<strong>「御国がきますように。御心が天で行われるように地でも行われますように。」</strong>ーー私たちがこの祈りを祈れば、天に行かなくとも、その前にこの世が天のようになり、すべて御心が行われるようになるのですから、こんな素晴らしい話はありません。しかし、私は思わされました。ーこの祈りを私たちに教えられた主イエスは、ゲッセマネで弟子たちが見ている前で「<strong>わが父よ。できますならば、この盃をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」</strong>と祈られたことを。（マタイ２６：３９）そうであるなら、私たちもこの祈りを祈る時、この地で私たちの願いが実現するために祈るのではなく、すべてのことが主の御心でなされることを願う祈りとして祈るべきではないでしょうか。キリスト者である私たちは、主と共に十字架について死に、主と共によみがえって、今は一心同体で生きているのですから。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　６：１１<strong>「私たちの日毎の糧をきょうもお与えください。」</strong>ーー６：８で<strong>「父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」</strong>と書かれていますから、私たちに日毎必要な肉の糧はすべて必ず与えられます。しかし１０節の祈りと同じく、私たちが望むものではなく、すべて神が与えて下さるもので満足すると決意して祈ることが重要なポイントですし、その祈りが神に栄光を与えるだけでなく、私たちにとっても究極的に最高の結果を得ることになることであることを思わされました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　６：１２<strong>「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」</strong>ーー主イエスはすべての人間の罪（負いめ）を赦すために死なれました。そうであれば私たちが、主に忠実に従う弟子であり、また永遠に主の花嫁として一心同体となるのであれば尚更のこと、単に私たちに負いめのある人だけを赦すのではなく、一見負めのないすべての他人の罪をも、主が赦されたと同じように赦すべきではないのでしょうか。そのことがマタイ６：１４、１５に書いてあります。</p>
<p>　そうであるなら一番赦せないのが夫婦となった相手であり、加えて一番親しいはずの肉の兄弟姉妹とか、家族の間での不和話が絶えないのがこの世の現実であるというのはどうしてでしようか。神がこの世を造り、最初の人間に罪を犯させた上で、そんな罪だらけのこの世に人を生まれさせて苦労させることに目的があるのではないでしょうか。</p>
<p>　人間を男と、そして男の一部から女を造り、その一対の男女から子供が生まれ、それが家族となって子孫を残すようにされたことには、本当に深い意味があると思いませんか。この「夫婦関係」はこの世だけのもので天に戻れば解消されます。これからしても私が先週書いた報告（２）の冒頭で述べたように、「天で霊と魂で生まれた人間に、創造主の神は霊的成熟を目的として一時的にこの世に生まれさせ、苦労をさせて霊的訓練するのがこの世で生きる目的である」と申し上げたことが事実であると思いませんか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>６：１３<strong>「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」</strong>ーー</p>
<p>「私たちを試みに会わせないで」という意味は、私たちが耐えられないような試練には会わせないように」という意味です。そのことは１コリント１０：１３に書かれていますが、私たちに霊的訓練をさせることの目的がヤコブ書１：２−４、１２に次のように書かれています。</p>
<p><strong>「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つかけたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。・・・試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　上記のみ言葉は前にも書きましたが、エノクを思い起こさせます。エノクは主にあっていつも喜んでいました。それで彼は死を経験することなく、天に挙げられたのです。それによってエノクは「主とともに歩んだ」人と書かれています。</p>
<p>　ご参考までに、「私たちが主に喜ばれるクリスチャンになるとは、どのような人間になるのか」について使徒パウロが次のように言っています。<strong>「私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」</strong>（ロマ書１４：７、８）</p>
<p>　そのようなクリスチャンになれば、勿論主は必ずいかなる悪魔の攻撃からも守って下さることは言うまでもありません。しかし主は私たち自身が主の御名で悪魔勢に勝利することを望んでおられます。なぜなら主イエスが既に勝っておられるからです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これで今回の日本旅行の報告を一応終らせていただきます。今回は各地で心から主に飢え渇いておられる方々がお集まりいただき、どの集会にも真ん中に立って喜んでおられる主のご臨在を強く感じましたことは、私たち夫婦にとってこの上ない励ましとなりました。その集会でいただいた油注ぎと、多くのWWGMの皆様のお祈りが相まって、来日前に患った私の軽い脳梗塞の症候が旅の終わりには全くと言ってよいほど無くなり、元気回復しました。最後にそのことをお伝えすると共に、主にあって心から厚く御礼申し上げます。</p>
<p>　リバイバルの兆しは日に日に増して来ています。主がそのための備えとして発せられた「大宣教命令」に今、呼応する選ばれた精鋭が続々と起こされつつあることを今回日本でも目の当たりに見させていただき、心からお喜び申し上げます。（終わり）</p>
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		<title>２０１８年秋の日本訪問を終えて（２）　     坂　　達　也　　　　　　　２０１８年１１月１８日</title>
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		<pubDate>Sun, 18 Nov 2018 12:21:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[坂　柚実子からのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[２０１８年秋の日本訪問を終えて（２）　 &#160; 坂　　達　也 &#160; &#160; 私たちの真の身分証明書 &#160; 　初めて会う人同士は先ず「あなたはどこの生まれで、今は何をしていて、どこに住んでいるのか」をお互いに紹介し合います。その場合、クリスチャンの私たちはこう答えるべきではないでしょうか。 　「私はこの宇宙が造られるずっと以前に、天の父の中から生まれました。そして今はこの地球に送られて来て、キリストの弟子になる猛訓練を受けている最中で、いずれ天に帰ります。私の国籍と現住所は天の父の右座のキリストと同じところに神の家族として住んでいます。」（参考：エペソ１：３−５、ピリピ３：２０、エペソ２：１９） 　つまり私たちは元々「永遠の命を持つ霊と魂を持つ霊の人間」であり、真の「キリストに似た者」になるための「霊的訓練」を受けるために、父がその目的で造った地球という仮の世界に、肉を着せられた人間として送られ、目下猛訓練を受けている最中なのです。肉の世界は、そのための仮の道場に過ぎず、いずれ元の住処の霊の世界に帰って行きます。罪にまみれた肉という稽古着はイエスと共に完全に死んで脱ぎ捨て、イエスと共に天によみがえり、永遠にイエスと共に生きるためにあるもの。天に戻ればそのしるしとして霊の身体が与えられます。ーこれが私たちの真の身分証明ではないでしょうか。 　ですから、クリスチャンがいつまでたっても頭（肉）のクリスチャンのままで霊の目覚め、飢え渇きを覚えないなら、主は「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。・・・このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。」（黙示録３：１５、１６）と言われます。このようなクリスチャンにだけはなりたくないと思いませんか。神はこのようなクリスチャンで終わる人を最も嫌われます。皆さんはこの意識をしっかりとお持ちでしょうか。もし、お持ちでないなら、今こそ抜本的な意識改革が必要です。 &#160; エノクは最初に神と共に歩んだ人 &#160; 　エノクについては創世記５：２１ー２４に「エノクは６５年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、３００年神と共に歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は３６５年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が取られたので、彼はいなくなった。」と書かれています。そしてヘブル書１１：５に「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。」と書かれ、彼の信仰が神に喜ばれていたことがわかります。　エノクはノアと共に「キリストと共に歩んだ人間」であることが聖書に書かれておりますが、この「神と共に歩むようになる」ことが私たちクリスチャンの最終目標であり、地上における霊的訓練終了の卒業証書であることをエノクが実証しています。そのような人間エノクは今天でどのような人になっているでしょうか。 &#160; 　私はエノクと聞けば、しばしば天に行かれるリック・ジョイナー師がそのエノクに天で会った時のお話を思い出します。生きたまま天に挙げられた人は他に預言者のエリヤがいますが、ジョイナー師は天で先ずそのエリヤに会いました。以下は私たちがWWGMで２０１４年５月１日のブログでご紹介した時の記事です。 &#160; エリヤとエノク &#160; 　私（ジョイナー師）はこのところエリヤによく会います。預言的経験の中ですから、実際のエリヤに会ったのか、霊的な経験だったのかはわかりません。エリヤはもうすぐこの世に来ます。それはエリヤの霊がキリストのからだに来るということです。 しかし、エリヤが私に「あなたはエノクに会うべきだ」と何回も言うのです。エリヤは又、「私とエノクは死を経験しませんでした。それは、終末の時の最後の神のムーブメントのときにキリストのからだに大きな霊的分与をするためです。あなたはエノクに会わねばなりません。」と言いました。私も会いたいと思っていました。・・・なぜならエノクはこの終末の時代に現れる力ある者たちについて預言しているからです。そして私はついにエノクに会うことができました。彼は私が想像していた人物とは全く違いました！　エノクは私が今まで会った人の中で比べ物にならないくらい最もハッピーな人だったのです。いつも一緒にいたいと思うような人でした。彼が持っている喜びは信じられないほどでした。彼は地上に暗やみが広がっていた時代に生きていました。ネフィルムもいたし、人の悪が増大した時代であったにも拘わらず、エノクは最高にハッピーで喜びに満ちていたのです。 　エノクと会ったすぐ後で私はまたエリヤに出くわしました。彼は私に「エノクと会ってどう思いましたか？」と聞きました。「彼は、私が会った中で一番ハッピーな人でした。驚きました。」と私が答えると、エリヤは「何か質問がありますか？」というので、「ええ。あります。どうしてあなたはエリヤのようにハッピーじゃないのですか？あなたはずっと天国にいたのに、どうしてもっとハッピーじゃないのですか？」とぶしつけな質問をしてしまいました。どうしても聞きたかったのです。 　エリヤは答えてくれました。その答えは私に非常な衝撃を与えました。「どうしてか話しましょう。あなたが地上で生活する間に、天国に行ってからあなたが永遠にどのような人になるかが決められるのです。天国に行けば、あなたの苦しみ、悲しみ、嘆きはすべて取り去られます。私もエノクのようにハッピーになることは可能でした。でも私は地上にいる時、暗やみの方にばかり焦点を当てていました。『私だけが残って他は誰も主を信じる者はいない』というように悲観的になった事が多かったのです。私はもっとエノクのようになることもできたのです。そしてあなたもそうなれるのですよ。 　エノクはどんなに地上が暗くても神と共に歩き、神に焦点を当てていました。彼の中で神はどんどん大きくなって、まわりの様々な問題や状況はどんどん小さくなりました。主の臨在の中では喜びが満ちるのです。」エノクは主の臨在の喜びの頂点に達したのだと思います。だから天に上げられたのではないでしょうか。そして今も喜びに満ちているのです。 　勿論、私たちは天国に行けば皆ハッピーです。天国で一番ハッピーでない人でも、地上で一番ハッピーな人よりもっとハッピーです。それは確かです。でも私たちは今、自分の永遠の性格を決めているのです。エリヤは言いました。「あなたの信仰を増し加えるために一日も無駄にしてはいけません。神の喜び、神の平安へと成長できる時を無駄にしないでください。聖霊の実は育てられてだんだんに大きくなるものです。私は多くの日を無駄にしました。私も今のチャンスを逃したくありません．主の喜びが、これまでよりはるかに大きくやって来ようとしています。私たちには考えられないような喜びに満たされハッピーになるのです。主を間もなくお迎えしようとしているのですから当然ではありませんか。主の臨在の中で私たちはハッピーになるのです。いいえ、ハッピー以上のものー喜びです。ですからあなたの試煉を無駄にしないで下さい。　一日も無駄にしないでください。私たちは今、永遠に自分がどのような者になるかを決めているからです。ーー以上でジョイナー師の話は終わります。 &#160; &#160; 　ところで預言者といえばエノクこそが聖書に現れた最初の預言者でした。（参照：ユダの手紙１４−１５） &#160; エノク書から学ぶもの &#160; 　私は最近になって初めて聖書の外典と言われるエノク書なるものを読みましたが、私が読んだ解説付きエノク書とは、リック・ジョイナー師のミニストリーに携わるマイケル・フィッケス Michael Fickess 師の著作「Enoch’s Blessing- A Modern English Paraphrase of Enoch’s Ancient Writings 」です。彼はエノク書の研究の権威者の1人であり、エチオピア・オーソドックス教会系の原本写本を１００年ほど前に英訳したR.H.Charlesの本の中で、エノク以外の人が書いた部分の混入、あるいは内容的に嫌疑のある部分を除去し厳選したものを、現代の人が理解できるように、より分かりやすく書き直して、２０１４年にモーニングスター・パブリケーションから出版されたものです。前書きでジョイナー師も彼の考え方に同意しています。 　それには終末に起こる黙示録とか大患難時代への預言だけでなく、驚くべきことに、創世記とか申命記というモーセの時代から旧約のイザヤ、エゼキエル、ダニエルと言った預言者たちの預言書に書かれていることと一致すると言われ、加えて１世紀の使徒たちと、その当時のクリスチャンも、このエノク書を他の旧約聖書と共に読んでいたことがはっきり伺われる程彼らに影響を与えていて、新訳聖書のユダ書、ヘブル書、ルカ伝等にその名が書かれています。 　また特に名前は出ていませんが使徒の1人であるヤコブの手紙１：２−４に「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」と書かれているのは、私は暗にエノクを見本として話しているように思えてなりません。 　また私の見たエノクの書５：６に「その（終わりの）日にはキリストを拒否し神を無視した人たちは罪とその呪いにとどまるが、全ての義 righteousness を持つ人は喜びに満ちるであろう。」とあり、又それに続くエノク書５：９には「このような義の人たちは二度と主に不従順の罪を犯すことがない。もはや彼らの一生は神の怒りから来る死の体験をすることなく、彼らは神から与えられた日々を全うし、平安が日毎に増す。彼らの喜びに満ちた日々は幾倍にも増され、遂には永遠に続く感謝と平安に到達する」という意味の言葉が注釈付きで書かれています。 　これは使徒パウロがロマ書１４：１７に書いた「神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」 に通じますし、同じパウロが書いたピリピ書の「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」、そして１テサロニケ５；１６の「いつも喜んでいなさい。」には、エノクの書からの影響が強く伺われます。またヨハネ１６：２４では「・・・求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」と書かれています。 　これは何を示しているのでしょうか？それは、エノクの書が使徒たちに大きな影響を与えていて、エノクこそが「主と共に歩む人生を極めた人」であり、そのような人は「いつも最高の喜びに満ちているキリスト者」であること、またそうなったエノクに対する主の喜びは極まり、主が彼を天に取られたのであると私は思いますがいかがでしょうか。 &#160; [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<p><strong>２０１８年秋の日本訪問を終えて（２）　</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>坂　　達　也</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>私たちの真の身分証明書</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　初めて会う人同士は先ず「あなたはどこの生まれで、今は何をしていて、どこに住んでいるのか」をお互いに紹介し合います。その場合、クリスチャンの私たちはこう答えるべきではないでしょうか。</p>
<p>　「私はこの宇宙が造られるずっと以前に、天の父の中から生まれました。そして今はこの地球に送られて来て、キリストの弟子になる猛訓練を受けている最中で、いずれ天に帰ります。私の国籍と現住所は天の父の右座のキリストと同じところに神の家族として住んでいます。」（参考：エペソ１：３−５、ピリピ３：２０、エペソ２：１９）</p>
<p>　つまり私たちは元々「永遠の命を持つ霊と魂を持つ霊の人間」であり、真の「キリストに似た者」になるための「霊的訓練」を受けるために、父がその目的で造った地球という仮の世界に、肉を着せられた人間として送られ、目下猛訓練を受けている最中なのです。肉の世界は、そのための仮の道場に過ぎず、いずれ元の住処の霊の世界に帰って行きます。罪にまみれた肉という稽古着はイエスと共に完全に死んで脱ぎ捨て、イエスと共に天によみがえり、永遠にイエスと共に生きるためにあるもの。天に戻ればそのしるしとして霊の身体が与えられます。ーこれが私たちの真の身分証明ではないでしょうか。</p>
<p>　ですから、クリスチャンがいつまでたっても頭（肉）のクリスチャンのままで霊の目覚め、飢え渇きを覚えないなら、主は<strong>「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。・・・このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。」</strong>（黙示録３：１５、１６）と言われます。このようなクリスチャンにだけはなりたくないと思いませんか。神はこのようなクリスチャンで終わる人を最も嫌われます。皆さんはこの意識をしっかりとお持ちでしょうか。もし、お持ちでないなら、今こそ抜本的な意識改革が必要です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>エノクは最初に神と共に歩んだ人</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　エノクについては創世記５：２１ー２４に<strong>「エノクは６５年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、３００年神と共に歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は３６５年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が取られたので、彼はいなくなった。</strong>」と書かれています。そしてヘブル書１１：５に<strong>「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。」</strong>と書かれ、彼の信仰が神に喜ばれていたことがわかります。　エノクはノアと共に「キリストと共に歩んだ人間」であることが聖書に書かれておりますが、この「神と共に歩むようになる」ことが私たちクリスチャンの最終目標であり、地上における霊的訓練終了の卒業証書であることをエノクが実証しています。そのような人間エノクは今天でどのような人になっているでしょうか。</p>
<p>&nbsp;</p>

<p>　私はエノクと聞けば、しばしば天に行かれるリック・ジョイナー師がそのエノクに天で会った時のお話を思い出します。生きたまま天に挙げられた人は他に預言者のエリヤがいますが、ジョイナー師は天で先ずそのエリヤに会いました。以下は私たちがWWGMで２０１４年５月１日のブログでご紹介した時の記事です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>エリヤとエノク</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　私（ジョイナー師）はこのところエリヤによく会います。預言的経験の中ですから、実際のエリヤに会ったのか、霊的な経験だったのかはわかりません。エリヤはもうすぐこの世に来ます。それはエリヤの霊がキリストのからだに来るということです。</p>
<p>しかし、エリヤが私に「あなたはエノクに会うべきだ」と何回も言うのです。エリヤは又、「私とエノクは死を経験しませんでした。それは、終末の時の最後の神のムーブメントのときにキリストのからだに大きな霊的分与をするためです。あなたはエノクに会わねばなりません。」と言いました。私も会いたいと思っていました。・・・なぜならエノクはこの終末の時代に現れる力ある者たちについて預言しているからです。そして私はついにエノクに会うことができました。彼は私が想像していた人物とは全く違いました！　エノクは私が今まで会った人の中で比べ物にならないくらい最もハッピーな人だったのです。いつも一緒にいたいと思うような人でした。彼が持っている喜びは信じられないほどでした。彼は地上に暗やみが広がっていた時代に生きていました。ネフィルムもいたし、人の悪が増大した時代であったにも拘わらず、エノクは最高にハッピーで喜びに満ちていたのです。</p>
<p>　エノクと会ったすぐ後で私はまたエリヤに出くわしました。彼は私に「エノクと会ってどう思いましたか？」と聞きました。「彼は、私が会った中で一番ハッピーな人でした。驚きました。」と私が答えると、エリヤは「何か質問がありますか？」というので、「ええ。あります。どうしてあなたはエリヤのようにハッピーじゃないのですか？あなたはずっと天国にいたのに、どうしてもっとハッピーじゃないのですか？」とぶしつけな質問をしてしまいました。どうしても聞きたかったのです。</p>
<p>　エリヤは答えてくれました。その答えは私に非常な衝撃を与えました。「どうしてか話しましょう。あなたが地上で生活する間に、天国に行ってからあなたが永遠にどのような人になるかが決められるのです。天国に行けば、あなたの苦しみ、悲しみ、嘆きはすべて取り去られます。私もエノクのようにハッピーになることは可能でした。でも私は地上にいる時、暗やみの方にばかり焦点を当てていました。『私だけが残って他は誰も主を信じる者はいない』というように悲観的になった事が多かったのです。私はもっとエノクのようになることもできたのです。そしてあなたもそうなれるのですよ。</p>
<p>　エノクはどんなに地上が暗くても神と共に歩き、神に焦点を当てていました。彼の中で神はどんどん大きくなって、まわりの様々な問題や状況はどんどん小さくなりました。主の臨在の中では喜びが満ちるのです。」エノクは主の臨在の喜びの頂点に達したのだと思います。だから天に上げられたのではないでしょうか。そして今も喜びに満ちているのです。</p>
<p>　勿論、私たちは天国に行けば皆ハッピーです。天国で一番ハッピーでない人でも、地上で一番ハッピーな人よりもっとハッピーです。それは確かです。でも私たちは今、自分の永遠の性格を決めているのです。エリヤは言いました。「あなたの信仰を増し加えるために一日も無駄にしてはいけません。神の喜び、神の平安へと成長できる時を無駄にしないでください。聖霊の実は育てられてだんだんに大きくなるものです。私は多くの日を無駄にしました。私も今のチャンスを逃したくありません．主の喜びが、これまでよりはるかに大きくやって来ようとしています。私たちには考えられないような喜びに満たされハッピーになるのです。主を間もなくお迎えしようとしているのですから当然ではありませんか。主の臨在の中で私たちはハッピーになるのです。いいえ、ハッピー以上のものー喜びです。ですからあなたの試煉を無駄にしないで下さい。　一日も無駄にしないでください。私たちは今、永遠に自分がどのような者になるかを決めているからです。ーー以上でジョイナー師の話は終わります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで預言者といえばエノクこそが聖書に現れた最初の預言者でした。（参照：ユダの手紙１４−１５）</p>
<p>&nbsp;</p>

<p><strong>エノク書から学ぶもの</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　私は最近になって初めて聖書の外典と言われるエノク書なるものを読みましたが、私が読んだ解説付きエノク書とは、リック・ジョイナー師のミニストリーに携わるマイケル・フィッケス Michael Fickess 師の著作「Enoch’s Blessing- A Modern English Paraphrase of Enoch’s Ancient Writings 」です。彼はエノク書の研究の権威者の1人であり、エチオピア・オーソドックス教会系の原本写本を１００年ほど前に英訳したR.H.Charlesの本の中で、エノク以外の人が書いた部分の混入、あるいは内容的に嫌疑のある部分を除去し厳選したものを、現代の人が理解できるように、より分かりやすく書き直して、２０１４年にモーニングスター・パブリケーションから出版されたものです。前書きでジョイナー師も彼の考え方に同意しています。</p>
<p>　それには終末に起こる黙示録とか大患難時代への預言だけでなく、驚くべきことに、創世記とか申命記というモーセの時代から旧約のイザヤ、エゼキエル、ダニエルと言った預言者たちの預言書に書かれていることと一致すると言われ、加えて１世紀の使徒たちと、その当時のクリスチャンも、このエノク書を他の旧約聖書と共に読んでいたことがはっきり伺われる程彼らに影響を与えていて、新訳聖書のユダ書、ヘブル書、ルカ伝等にその名が書かれています。</p>
<p>　また特に名前は出ていませんが使徒の1人であるヤコブの手紙１：２−４に<strong>「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」</strong>と書かれているのは、私は暗にエノクを見本として話しているように思えてなりません。</p>
<p>　また私の見たエノクの書５：６に「その（終わりの）日にはキリストを拒否し神を無視した人たちは罪とその呪いにとどまるが、全ての義 righteousness を持つ人は喜びに満ちるであろう。」とあり、又それに続くエノク書５：９には「このような義の人たちは二度と主に不従順の罪を犯すことがない。もはや彼らの一生は神の怒りから来る死の体験をすることなく、彼らは神から与えられた日々を全うし、平安が日毎に増す。彼らの喜びに満ちた日々は幾倍にも増され、遂には永遠に続く感謝と平安に到達する」という意味の言葉が注釈付きで書かれています。</p>
<p>　これは使徒パウロがロマ書１４：１７に書いた<strong>「神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」</strong><strong> </strong>に通じますし、同じパウロが書いたピリピ書の<strong>「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。</strong>」、そして１テサロニケ５；１６の<strong>「いつも喜んでいなさい。」</strong>には、エノクの書からの影響が強く伺われます。またヨハネ１６：２４では<strong>「・・・求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」</strong>と書かれています。</p>
<p>　これは何を示しているのでしょうか？それは、エノクの書が使徒たちに大きな影響を与えていて、エノクこそが「主と共に歩む人生を極めた人」であり、そのような人は「いつも最高の喜びに満ちているキリスト者」であること、またそうなったエノクに対する主の喜びは極まり、主が彼を天に取られたのであると私は思いますがいかがでしょうか。</p>
<p>&nbsp;</p>

<p>　エノクが神と共に歩むことができたのは、彼が天の霊の領域におられる主イエスに出会い、イエスに対して毎日全き従順な生活を送り始めたことを意味していると私は信じます。これは大変な信仰を持たねばできないことであり、またそれだけの信仰を持つようになったエノクは神に大変喜ばれたことでしょう。そのようなエノクであったからこそ神は彼を天に繁くビジョンとか夢で呼んでは、広く天の領域での活動を見分させ（御使いの働き、地獄の状態に至るまで）、そして世の終わりに起こる神のご計画を知らされたとしても全く不思議はありません。</p>
<p>　神と共に歩く人は当然ながら「預言的なライフスタイル」で生きる人です。それも時々の経験で満足するのではなく、継続的に毎日、主と真に親しいコイノニアの関係に入る人であるのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　私は今回の旅行で、いわゆる聖霊派の教会からカトリックの修道院まで様々なクリスチャンのグループをお訪ねしました。そしてどのようなグループであれ、最も重要なのは霊的な飢え渇きをもって主イエスを愛し求め、真に主とのリレーションシップを熱烈に追求することであるとわかりました。預言とか癒し、奇跡等はその結果として起こるのであり、本末転倒にならないように気をつけねばなりません。皆が聖霊派である必要は全くなく、それは教派の問題ではないという思いを強く持ちました。（続く）</p>
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		<title>２０１８年秋の日本訪問を終えて (1)  坂　達也　　　２０１８年１１月１２日</title>
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		<pubDate>Mon, 12 Nov 2018 21:33:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[坂　柚実子からのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[２０１８年秋の日本訪問を終えて(1) 坂　達也 　 　マタイ２４：３７ー４４「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らは分からなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。・・・だから目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。・・・なぜなら人の子は、思いがけない時にくるのですから。」　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　今世界はまさに、「見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおう」時となりました。そしてそれ程遠くない将来に「あなたの光が来て、あなたの上に輝く」のです。それゆえに、主が教会に「起きよ。光を放て。」といわれる世の終わりが確実に近づいて来ています。 　それは最後の大リバイバルが目前に迫って来ていることを意味し、しかも東西の預言者たちが、いよいよこの二、三年のうちにそれが始まると言うのです。私たちは、その期待と緊迫感を、アメリカだけでなく、日本でも今回強く感じました。そうであれば、今最も必要なことは、自分の教会とか地域にどのようにしてリバイバルを起こそうかと思い計ることではありません。（但しリバイバルへの祈りは大事ですが）なぜなら、主が私たち教会に言い残された言葉は「リバイバルを起こしなさい」ではなく「大宣教命令」であったからです。 　リバイバルを起こすのは主であり、私たちはその火を消すことなく、持続させねばなりません。しかし最も急務なことは、その大リバイバルから生まれてくるベイビー・クリスチャンを、私たち教会ができるだけ短期間に霊的に養育することであると信じるからです。「その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。」と主はマタイ２４：１９で警告されています。 　そのためには、私たちの周りのクリスチャンを今こそ最大限に弟子訓練し、乳飲み子を霊教育する多くのリーダーを立て上げるのが私たち急務ではないでしょうか。しばらく前に天に召されたボブ・ジョーンズ師は、天への入り口で主から「これから１０億のベービーを生まれさせるから、あなたはもう一度この世に帰り準備しなさい。」と言われて、地上に戻って来ました。 &#160; 　最近私たちのWWGMのブログ・メッセージではリック・ジョイナー師とか、ラリー・クライダー師のものを集中して掲載し、「霊的コイノニアの交わり」とかスモール・グループでのミニストリーの重要性を強調して参りました。なぜなら、週一度の礼拝の集まりだけでは「キリストの花嫁訓練とか弟子訓練」は十分にはできないからです。現にイエスご自身は１２人の弟子を３年半の間に地上で育て上げましたから、１０億の幼児が生まれるなら、そのために少なくとも一億の育ての親が必要です。しかも最後の大リバイバルは１０億に止まりません。 　そこで重要なことは、そのスモール・グループでの集まりで養育係の中心となるのは、あくまで主ご自身であることです。このことをグループメンバーは先ず抜本的に認識する必要があります。そして、それぞれ個人が毎日主と直接交わって得たことを、週に一度のグループ会合で分かち合い、それが牧師に伝えられ、全てが一致して聖霊に導かれて主のご計画が実行に移されねばならないのです。 　そのためには基本的に、すべてのメンバーが主の預言的ビジョンと主の御声を聞く訓練をすることが先決であることは言うまでもありません。そして、そのように訓練されてゆくためにはグループごとに少なくとも1人の霊的に成長したリーダーが必要であると思います。 　就きましては、今回私たちが日本各地を回って語らせていただいたことを下記に要約してご報告させていただきます。 終末の教会に必要なノアの信仰 　神を信じるアベルをいきなり殺してしまったカインの子孫はその後どんどん「生めよ増えよ」で人口が増大しました。そして、悪魔の影響が強く作用した結果、その当時の人間の罪があまりにもひどくなり、彼らの心はいつも悪いことだけに傾くようになったと創世記６章に書いてあります。 　そこで神はついに「わたしが創造したひとを地の面から消し去ろう。」と決意しました。そして、当時一人だけ神に従う人間として残しておいたノアに箱舟を造らせた後、ノアとその家族を含めた八人と地上の動物・地をはうもの・鳥類のすべての種類からそれぞれ雄雌一対を箱舟に乗せた神は、地球上に前代未聞の大洪水を起こし、悪を極めた人類を一掃したのです。 　そこで主が８−９節で言われました。「ノアは主の心にかなっていた。・・・ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」と。これだけでも充分に彼がどんな人間であったかが窺い知れます。上記で「その時代にあっても」と書かれている意味は、当時、「地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた．．．実に、それは、堕落していた。すべての肉なるもの、地上でその道を乱していたからである。」と言う状態であったのです。そこで神はノアに「人も家畜も空の鳥に至るまでわたしが創造したものを地上から消し去ろう」と言い、ノアに一艘のゴフェルの木から箱舟を造るように指示しました。 　この船の大きさは長さ３００キュピト、幅５０キュピト、高さ３０キュピトと言う三階建ての巨大な木造船でした。（注：但し原語で使われている cubit  と言う単位は元々「人の腕の肘から、手の指のくるぶし間の距離、あるいは中指の先までの距離」と言う曖昧な寸法であって、その実寸の解釈が聖書学者によってまちまちです。ほとんどの聖書で１cubit  ＝１８インチ＝４６センチで計算していて、それによると箱舟の長さは１４０M、横幅２３M、高さ１４Mですが、ある注釈書によれば１cubit  ＝２２インチで計算し、これらの寸法で箱舟の排水容量トンを計算すると最大３万４千トンになると書かれていました。私は少なく見積もっても２ー３万トンにはなると思いました。と言うのは昔、私のアメリカでのビジネスは、アメリカの国有林を入札して買い付け、それを切り出して自らの工場で製材したもの、あるいは丸太のままで、商社が用意する木材専用船に積み込んで日本に運んでいたので分かるのですが、箱舟はおよそ当時の専用船の大きさに匹敵します。） 　従って私はこのノアの箱舟の話を読む度に興奮し胸が躍ります。何故なら、ノアはこの巨大な木造船を造るのに、恐らく巨木の切り倒しから、運搬、それに製材経験も、造船技術に関する何の知識も無く、また必要な工具とか運搬車も無い時代に、神から言われて「やりましょう」と引き受けたのです。これは当時の人間にとっては先ず絶対に不可能な仕事でした。しかし、２２節に「ノアは、すべて神が命じられた通りにし、そのように行った。」と書かれています。 　いや、ノアは考えたに違いありません。「人間には不可能でも、相手は全知全能の神がやれと言うのだから、すべて神に聞き、神に一切を教えてもらい、それを忠実に実行すればできる。」そう腹をくくったのです。ーこれこそ、マルコ１１：２３で、主が言われた「だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ。』と言って、心の中で疑わず、ただ自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」の信仰そのものではないでしょうか。 　ノアは、ひたすら神からの指示だけを頼りに毎日こつこつと造り上げたのです。山から何らかの方法で巨大なゴフェルの木を切り倒して運んで来る。それを製材・造作して建て上げる。寸法に切った木材を組み立て、その隙間にピッチを塗り込んで防水加工をする。一切を神に頼った。彼の仕事を助ける人は自分の家族以外には誰もいませんでした。何故なら彼の周りは、彼と家族を除いて皆、神が滅ぼそうとしているほど罪で堕落した人たちであったからです。 　そこで、箱舟を造り上げるのにどの位の時間が掛かったのでしょうか。一般に１００年とかそれより短いと言う人もいますが、私が読んだ二、三の注釈書（Bob Utley’s How it all begun Genesis 1-11,  The Teacher’s commentary,   Alfred Edersheim ’s Bible History: Old Testament)  等によれば、１ペテロ３：２０、２ペテロ２：５等を引用して、神は１２０年間、辛抱強く箱船が出来上がるのを待ったと言う解釈をしています。後日ノアの三人の子どもたちが育って父親を助けたとしても、僅か数人でこれだけの仕事量に１００年ー１２０年掛かることはうなずける話です。 　その上ノアは船を造る傍ら、船を造る目的は神の裁きが来るからだ、悔い改めなさいと説教しても（参考２ペテロ２：５）、恐らく誰も聞く耳を持たず、かえってノアを嘲笑するだけであったのです。クリスチャンとしてこれほどの忍耐を要する経験があるでしょうか。　私が驚嘆するのは、ノアは本当に神と毎日親しく会話できたことです。これこそ「WALK   WITH  GOD」で生きるライフ・スタイルの最高の見本と言えないでしょうか。 　当時の人々は、陸の上で巨大な船を造りながら、人々に世の終わりが来ると警告し続けたノアをからかい嘲笑するばかりで、洪水が押し寄せるその日まで分からずに死んで行ったのです。 　このノアの洪水と箱舟の話は決して単なるおとぎ話ではありません。事実その箱舟の遺跡を発見した人がいます。その人とは考古学者のロン・ワイエット氏で、私はヘンリー・グルーバー師に紹介されて、その人がポートランド大学で公演した際に会い、その発掘の話を詳しく聞きました。発見した場所は今のトルコに当るアララト山の高い山の斜面に遺跡が残っていると言います。 　実は、このノアの方舟の話が非常に重要な意味を持っていることは、本書の冒頭で引用したマタイ２４：３７−４４をお読みいただければよくお分かりになるはずです。神はこの世の終わりに、頑なに真の神を拒否し続ける、ノアの時代と同じような不信仰な人間に対して「最後の裁き」の審判を下すことが聖書では明確に預言されています。しかも、最後の裁きは洪水によるのではなく火によるものであると預言され、２ペテロ３：３−１３にこう書かれています。 　「終りの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。『キリストの来臨の約束はどこにあるのか。・・・何事も創造の初めからのままではないか。』こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。・・・・しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。・・・しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」 &#160; 　神の人間創造のプロセスは、六千年経つ今の時点においても決して完成してはいません。神はＬＥＴ ＵＳ  ＭＡＫＥ  ＭＡＮ と言いましたが、その質的な創造行為はこの地球のすべての営みが終わる日まで続きます。何故なら、神がこの地球を造った理由は、ひとえに人間の創造を神の家族の一員として完成させるためであるからです。 &#160; 　度々天を訪れるリック・ジョイナー師は、「地上で苦しみと試練を通して霊的訓練を受けた人と、受けないでベービークリスチャンのままで天に挙げられた人との間にできる霊的成長の差は未来永遠に残る。」と警告します。それは、主イエスが私たちに命じた「大宣教命令」による霊的訓練こそが、神がこの宇宙と地球を造り、そこに人間を生まれさせた究極の目的であることを示しているのです。次回はノアの時代の直ぐ前の時代に生きたエノクの信仰に触れたいと思います。（続く）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<div><strong>２０１８年秋の日本訪問を終えて(1)</strong></div>
<div></div>
<div></div>
<div><strong>坂　達也</strong></div>
<div><strong>　</strong></div>
<div></div>
<div>　マタイ２４：３７ー４４<strong>「人の子が来るのは、ちょうど、<wbr>ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、<wbr>ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、<wbr>めとったり、とついだりしていました。<wbr>そして洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、<wbr>彼らは分からなかったのです。人の子が来るのも、<wbr>そのとおりです。・・・だから目をさましていなさい。<wbr>あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。・<wbr>・・なぜなら人の子は、思いがけない時にくるのですから。」　</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></strong></div>
<div><strong>　　　</strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<strong>　　</strong></div>
<div><strong>　</strong>今世界はまさに、<strong>「見よ。やみが地をおおい、<wbr>暗やみが諸国の民をおおう」</wbr></strong>時となりました。<wbr>そしてそれ程遠くない将来に<strong>「あなたの光が来て、<wbr>あなたの上に輝く」</wbr></strong>のです。それゆえに、主が教会に<strong>「起きよ。<wbr>光を放て。」</wbr></strong>といわれる世の終わりが確実に近づいて来ています。</wbr></div>
<div>　それは最後の大リバイバルが目前に迫って来ていることを意味し、<wbr>しかも東西の預言者たちが、いよいよこの二、<wbr>三年のうちにそれが始まると言うのです。私たちは、<wbr>その期待と緊迫感を、アメリカだけでなく、<wbr>日本でも今回強く感じました。そうであれば、<wbr>今最も必要なことは、<wbr>自分の教会とか地域にどのようにしてリバイバルを起こそうかと思<wbr>い計ることではありません。（<wbr>但しリバイバルへの祈りは大事ですが）なぜなら、<wbr>主が私たち教会に言い残された言葉は「<wbr>リバイバルを起こしなさい」ではなく「大宣教命令」<wbr>であったからです。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div></div>
<div>　リバイバルを起こすのは主であり、<wbr>私たちはその火を消すことなく、持続させねばなりません。<wbr>しかし最も急務なことは、<wbr>その大リバイバルから生まれてくるベイビー・クリスチャンを、<wbr>私たち教会ができるだけ短期間に霊的に養育することであると信じ<wbr>るからです。<strong>「その日、<wbr>悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。」</wbr></strong>と主はマタイ２４<wbr>：１９で警告されています。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div>　そのためには、<wbr>私たちの周りのクリスチャンを今こそ最大限に弟子訓練し、<wbr>乳飲み子を霊教育する多くのリーダーを立て上げるのが私たち急務<wbr>ではないでしょうか。しばらく前に天に召されたボブ・<wbr>ジョーンズ師は、天への入り口で主から「<wbr>これから１０億のベービーを生まれさせるから、<wbr>あなたはもう一度この世に帰り準備しなさい。」と言われて、<wbr>地上に戻って来ました。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<p>&nbsp;</p>
<div>　最近私たちのWWGMのブログ・メッセージではリック・<wbr>ジョイナー師とか、ラリー・<wbr>クライダー師のものを集中して掲載し、「<wbr>霊的コイノニアの交わり」とかスモール・<wbr>グループでのミニストリーの重要性を強調して参りました。<wbr>なぜなら、週一度の礼拝の集まりだけでは「<wbr>キリストの花嫁訓練とか弟子訓練」は十分にはできないからです。<wbr>現にイエスご自身は１２人の弟子を３年半の間に地上で育て上げま<wbr>したから、１０億の幼児が生まれるなら、<wbr>そのために少なくとも一億の育ての親が必要です。<wbr>しかも最後の大リバイバルは１０億に止まりません。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div></div>
<div>　そこで重要なことは、そのスモール・<wbr>グループでの集まりで養育係の中心となるのは、<wbr>あくまで主ご自身であることです。<wbr>このことをグループメンバーは先ず抜本的に認識する必要がありま<wbr>す。そして、それぞれ個人が毎日主と直接交わって得たことを、<wbr>週に一度のグループ会合で分かち合い、それが牧師に伝えられ、<wbr>全てが一致して聖霊に導かれて主のご計画が実行に移されねばなら<wbr>ないのです。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div></div>
<div>　そのためには基本的に、<wbr>すべてのメンバーが主の預言的ビジョンと主の御声を聞く訓練をす<wbr>ることが先決であることは言うまでもありません。そして、<wbr>そのように訓練されてゆくためにはグループごとに少なくとも1人<wbr>の霊的に成長したリーダーが必要であると思います。</wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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<div><strong>　</strong>就きましては、<wbr>今回私たちが日本各地を回って語らせていただいたことを下記に要<wbr>約してご報告させていただきます。</wbr></wbr></div>
<div></div>
<div><strong>終末の教会に必要なノアの信仰</strong></div>
<div></div>
<div>　神を信じるアベルをいきなり殺してしまったカインの子孫はその後<wbr>どんどん「生めよ増えよ」で人口が増大しました。そして、<wbr>悪魔の影響が強く作用した結果、<wbr>その当時の人間の罪があまりにもひどくなり、<wbr>彼らの心はいつも悪いことだけに傾くようになったと創世記６章に<wbr>書いてあります。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div>　そこで神はついに「<wbr>わたしが創造したひとを地の面から消し去ろう。」<wbr>と決意しました。そして、<wbr>当時一人だけ神に従う人間として残しておいたノアに箱舟を造らせ<wbr>た後、ノアとその家族を含めた八人と地上の動物・地をはうもの・<wbr>鳥類のすべての種類からそれぞれ雄雌一対を箱舟に乗せた神は、<wbr>地球上に前代未聞の大洪水を起こし、<wbr>悪を極めた人類を一掃したのです。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div></div>
<div>　そこで主が８−９節で言われました。<strong>「<wbr>ノアは主の心にかなっていた。・・・ノアは、正しい人であって、<wbr>その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。<wbr>」</wbr></wbr></wbr></strong>と。<wbr>これだけでも充分に彼がどんな人間であったかが窺い知れます。<wbr>上記で「その時代にあっても」と書かれている意味は、当時、<strong>「<wbr>地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた．．．実に、<wbr>それは、堕落していた。すべての肉なるもの、<wbr>地上でその道を乱していたからである。」</wbr></wbr></wbr></strong>と言う状態であったので<wbr>す。そこで神はノアに「<wbr>人も家畜も空の鳥に至るまでわたしが創造したものを地上から消し<wbr>去ろう」と言い、<wbr>ノアに一艘のゴフェルの木から箱舟を造るように指示しました。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div>　この船の大きさは長さ３００キュピト、幅５０キュピト、<wbr>高さ３０キュピトと言う三階建ての巨大な木造船でした。（注：<wbr>但し原語で使われている cubit  と言う単位は元々「人の腕の肘から、手の指のくるぶし間の距離、<wbr>あるいは中指の先までの距離」と言う曖昧な寸法であって、<wbr>その実寸の解釈が聖書学者によってまちまちです。<wbr>ほとんどの聖書で１cubit  ＝１８インチ＝４６センチで計算していて、<wbr>それによると箱舟の長さは１４０M、横幅２３M、高さ１４Mです<wbr>が、ある注釈書によれば１cubit  ＝２２インチで計算し、<wbr>これらの寸法で箱舟の排水容量トンを計算すると最大３万４千トン<wbr>になると書かれていました。<wbr>私は少なく見積もっても２ー３万トンにはなると思いました。<wbr>と言うのは昔、私のアメリカでのビジネスは、<wbr>アメリカの国有林を入札して買い付け、<wbr>それを切り出して自らの工場で製材したもの、<wbr>あるいは丸太のままで、<wbr>商社が用意する木材専用船に積み込んで日本に運んでいたので分か<wbr>るのですが、箱舟はおよそ当時の専用船の大きさに匹敵します。）</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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<div>　従って私はこのノアの箱舟の話を読む度に興奮し胸が躍ります。<wbr>何故なら、ノアはこの巨大な木造船を造るのに、<wbr>恐らく巨木の切り倒しから、運搬、それに製材経験も、<wbr>造船技術に関する何の知識も無く、<wbr>また必要な工具とか運搬車も無い時代に、神から言われて「<wbr>やりましょう」と引き受けたのです。<wbr>これは当時の人間にとっては先ず絶対に不可能な仕事でした。<wbr>しかし、２２節に<strong>「ノアは、すべて神が命じられた通りにし、<wbr>そのように行った。」</wbr></strong>と書かれています。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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<div>　いや、ノアは考えたに違いありません。「人間には不可能でも、<wbr>相手は全知全能の神がやれと言うのだから、すべて神に聞き、<wbr>神に一切を教えてもらい、それを忠実に実行すればできる。」<wbr>そう腹をくくったのです。ーこれこそ、マルコ１１：２３で、<wbr>主が言われた<strong>「だれでも、この山に向かって、『動いて、<wbr>海に入れ。』と言って、心の中で疑わず、<wbr>ただ自分の言ったとおりになると信じるなら、<wbr>そのとおりになります。」</wbr></wbr></wbr></strong>の信仰そのものではないでしょうか。</wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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<div>　ノアは、<wbr>ひたすら神からの指示だけを頼りに毎日こつこつと造り上げたので<wbr>す。<wbr>山から何らかの方法で巨大なゴフェルの木を切り倒して運んで来る<wbr>。それを製材・造作して建て上げる。<wbr>寸法に切った木材を組み立て、<wbr>その隙間にピッチを塗り込んで防水加工をする。<wbr>一切を神に頼った。<wbr>彼の仕事を助ける人は自分の家族以外には誰もいませんでした。<wbr>何故なら彼の周りは、彼と家族を除いて皆、<wbr>神が滅ぼそうとしているほど罪で堕落した人たちであったからです<wbr>。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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<div>　そこで、<wbr>箱舟を造り上げるのにどの位の時間が掛かったのでしょうか。<wbr>一般に１００年とかそれより短いと言う人もいますが、<wbr>私が読んだ二、三の注釈書（Bob Utley’s How it all begun Genesis 1-11,  The Teacher’s commentary,   Alfred Edersheim ’s Bible History: Old Testament)  等によれば、１ペテロ３：２０、２ペテロ２：５等を引用して、<wbr>神は１２０年間、<wbr>辛抱強く箱船が出来上がるのを待ったと言う解釈をしています。<wbr>後日ノアの三人の子どもたちが育って父親を助けたとしても、<wbr>僅か数人でこれだけの仕事量に１００年ー１２０年掛かることはう<wbr>なずける話です。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div>　その上ノアは船を造る傍ら、<wbr>船を造る目的は神の裁きが来るからだ、<wbr>悔い改めなさいと説教しても（参考２ペテロ２：５）、<wbr>恐らく誰も聞く耳を持たず、<wbr>かえってノアを嘲笑するだけであったのです。<wbr>クリスチャンとしてこれほどの忍耐を要する経験があるでしょうか<wbr>。　私が驚嘆するのは、<wbr>ノアは本当に神と毎日親しく会話できたことです。これこそ「WA<wbr>LK   WITH  GOD」で生きるライフ・<wbr>スタイルの最高の見本と言えないでしょうか。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div>　当時の人々は、陸の上で巨大な船を造りながら、<wbr>人々に世の終わりが来ると警告し続けたノアをからかい嘲笑するば<wbr>かりで、<wbr>洪水が押し寄せるその日まで分からずに死んで行ったのです。</wbr></wbr></wbr></div>
<div></div>
<div>　このノアの洪水と箱舟の話は決して単なるおとぎ話ではありません<wbr>。事実その箱舟の遺跡を発見した人がいます。<wbr>その人とは考古学者のロン・ワイエット氏で、私はヘンリー・<wbr>グルーバー師に紹介されて、<wbr>その人がポートランド大学で公演した際に会い、<wbr>その発掘の話を詳しく聞きました。<wbr>発見した場所は今のトルコに当るアララト山の高い山の斜面に遺跡<wbr>が残っていると言います。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div></div>
<div>　実は、<wbr>このノアの方舟の話が非常に重要な意味を持っていることは、<wbr>本書の冒頭で引用したマタイ２４：３７−４４をお読みいただけれ<wbr>ばよくお分かりになるはずです。神はこの世の終わりに、<wbr>頑なに真の神を拒否し続ける、<wbr>ノアの時代と同じような不信仰な人間に対して「最後の裁き」<wbr>の審判を下すことが聖書では明確に預言されています。しかも、<wbr>最後の裁きは洪水によるのではなく火によるものであると預言され<wbr>、２ペテロ３：３−１３にこう書かれています。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div><strong>　</strong><strong>「終りの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、<wbr>自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。『<wbr>キリストの来臨の約束はどこにあるのか。・・・<wbr>何事も創造の初めからのままではないか。』こう言い張る彼らは、<wbr>次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、<wbr>地は神のことばによって水から出て、<wbr>水によって成ったのであって、当時の世界は、その水により、<wbr>洪水におおわれて滅びました。しかし、今の天と地は、<wbr>同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、<wbr>不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。<wbr>・・・・しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。<wbr>その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、<wbr>天の万象は焼けてくずれ去り、<wbr>地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、<wbr>これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、<wbr>あなたがたは、<wbr>どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょ<wbr>う。・・・しかし、私たちは、神の約束に従って、<wbr>正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></strong></div>
<p>&nbsp;</p>
<div>　神の人間創造のプロセスは、<wbr>六千年経つ今の時点においても決して完成してはいません。神は<strong>Ｌ<wbr>ＥＴ</wbr></strong><strong> </strong><strong>ＵＳ</strong><strong>  </strong><strong>ＭＡＫＥ</strong><strong>  </strong><strong>ＭＡＮ</strong><strong> </strong>と言いましたが、<wbr>その質的な創造行為はこの地球のすべての営みが終わる日まで続き<wbr>ます。何故なら、神がこの地球を造った理由は、<wbr>ひとえに人間の創造を神の家族の一員として完成させるためである<wbr>からです。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<p>&nbsp;</p>
<div>　度々天を訪れるリック・ジョイナー師は、「<wbr>地上で苦しみと試練を通して霊的訓練を受けた人と、<wbr>受けないでベービークリスチャンのままで天に挙げられた人との間<wbr>にできる霊的成長の差は未来永遠に残る。」と警告します。<wbr>それは、主イエスが私たちに命じた「大宣教命令」<wbr>による霊的訓練こそが、神がこの宇宙と地球を造り、<wbr>そこに人間を生まれさせた究極の目的であることを示しているので<wbr>す。<wbr>次回はノアの時代の直ぐ前の時代に生きたエノクの信仰に触れたい<wbr>と思います。（続く）</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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		<title>エルサレムの平和のために祈ろう   　　　　　　  坂　　達　也　　　　　　　2018年5月15日</title>
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		<pubDate>Tue, 15 May 2018 13:50:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[坂　柚実子からのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[エルサレムの平和のために祈ろう 　　　　　　　　　　　　　　　  坂　　達　也 5月14日は、イスラエル建国70周年に当たる特別の記念日でした。 その日のお昼頃でしたが、イスラエルの首都エルサレムで、アメリカの大使館がテルアビブからエルサレムに正式に移された記念式典が行われました。私はその実況中継を見てクリスチャンの一人として大変感動を受けました。 式典で最も称えられたことは、トランプ大統領の勇気ある決断力でした。トランプ氏はご存知の通り選挙でそれを公約し、昨年12月に大統領として正式にそれを実行する事を世界に公表しました。しかし、それを受けて世界（特にアラブ系諸国）は猛然と反発して参りましたが、それを敢えて押し切って、遂にエルサレムにアメリカ大使館の移動が実現に至った記念すべき日でした。 本件は過去において、１９９５年にアメリカ議会がイスラエルのアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移すことを承認したにもかかわらず、最近の歴代３大統領はそれを実行しなかった経緯がありますから、この事がどれ程大きな勇気と決断を要するものであったかがこの式典を通してうかがわれ、大きな感銘を受けた次第です。 しかもこれに先立ち、トランプ大統領はイスラエルの最大の政敵であるイランとの核に関する六カ国合意契約を破棄する事を宣言していましたから、この式典と時を同じくして、パレスチナ自治区ガザで数万人規模の激しいデモが発生し、それを企画したハマスのテロリストに対してイスラエル防衛軍（IDF)が報復したため多大な死傷者が出たことは、十分予期された事件であったと思います。 　イスラエルとエルサレムの歴史は非常に複雑です。第二次大戦が終了し、イスラエルが独立国家として正式に1948年に誕生して以来７０年が経った訳ですが、その首都は聖書的に言えば間違いなくエルサレムです。そして、このエルサレムこそは将来イエス・キリストが帰って来て、世界を統治する御国の永遠の首都となる場所であることは、クリスチャンの皆様はよくご存知です。 一方、歴史的政治的な立場からすれば、イスラエルは1967年の第３次中東戦争で、ユダヤ教やイスラム教、キリスト教の聖地が集中する旧市街を含む東エルサレムを占領。その後は併合したエルサレムを「不可分の首都」と位置づけてきました。但し、国際的な承認は得られていません。 これに対して、東エルサレムを将来に独立する際の首都とするパレスチナ側は当然ながら反発しました。1993年のイスラエルとパレスチナの「２国家共存」を目指すオスロ合意では、今後の交渉でエルサレムがどちらに帰属するかを決めるとしていました。そのため今回の米国の動きに、パレスチナ側は猛反発した訳ですが、これによって中東和平交渉の再開は一段と難しくなってきたことは否めません。そして、その理由がお互いに宗教的な事情が絡む以上、和解の余地はほぼ考えられない最悪の事態に立ち至った状態にあります。 一方アメリカにおいても、トランプ大統領の立場は苦しいものがあります。それはアメリカには宗教の自由が許されている以上、大統領が一宗教の立場を取ることは許されないからです。従って中間選挙をこの秋に迎えるアメリカは、国内の政治闘争による紛糾がますます深まると予想されます。しかし私たちクリスチャンの立場からすれば、トランプ大統領が取った今回の行動は、明らかに彼自身が正真正銘のクリスチャン信仰の持ち主であることを証明したと言えます。 ユダヤ教徒とクリスチャンの立場 ご存知の通り、詩篇122:6ー9には、こう書かれています。 「『エルサレムの平和のために祈れ。『おまえを愛する人々が栄えるように。 おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。』 私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。『おまえのうちに平和があるように。』  私たちの神【主】の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。』」 ナタネヤーフ首相は昨日の演説で、イスラエルの首都はエルサレムであるが、そのエルサレムにおいて、戦いではなく、平和を望む、と言っていましたので、おそらく彼は上記の聖句を踏まえた「両者が平和裡に共存する」可能性を追求する用意はあると言っているのではないかと思います。しかし、パレスチナ側はあくまでエルサレムを自分の領土と主張すると思われ、そこには妥協の余地はほとんどないと言えます。 また、創世記１２：３では、イスラエル建国の父アブラハムに対して「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。」と明言され、それには異邦人の私たちも含まれていますから、真にキリストの神を信じる者であれば、イスラエルに反対する立場は取れないはずです。 さてそこで、私は日本とイスラエルの関係を憂慮します。一応今までは友好的に推移して来たようですが、最近日本国首相が、アラブ側に気を使ってか、日本は大使館をテルアビブからエルサレムに移動はしないと明言しました。しかし私たちクリスチャンとしては、日本が「羊の国」になるためには、名実共にイスラエルを完全にサポートする立場を明白に宣言する日が一日も早く来る事を願って止みません。 世界情勢は完全に終末の時代に入っている つい先日アメリカは、イスラエルの東北側の隣国のシリヤを攻撃し、その背後にいるロシヤを刺激しました。その後にイスラエルとアメリカを目の敵にする東側の大国イランとの条約破棄を宣言したのです。これでイスラエルを取りまくアラブ諸国陣営と後ろ盾のロシヤに対抗して、イスラエルとそれを後押しするアメリカが対峙するという世界を分けての二大体制ーーこれはまさに聖書が預言する最後の時代に起こる「決戦体制」が出来上がりつつあると言えないでしょうか。 一方、アジヤでは中国が後押しする北朝鮮とアメリカが後押しする韓国、日本、台湾の体制が不気味な様相を呈しています。すなわち、ここでも二大勢力の対決ができつつあり、もしかすると黙示録８章９章の預言が当てはまり、戦争が勃発するだけでなく、更に激化して１０章の預言に続く可能性があるようにも思えます。これらの章は、明らかに核戦争の様相に当てはまるとも考えられます。 正直なところ、私は中国が北朝鮮を簡単にアメリカ側に手離すとは考えられません。その点、北朝鮮問題の解決が今後難しくなる可能性が十分あり得るという気がします。但し、このように申し上げても私は世の終わりがすぐ来ると言っているのではありません。 むしろ、私が申し上げたいことは、終末のリバイバルと霊的アウェークニングは、前にも申し上げた通り、イザヤ書６０章に書かれているように「見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている」という暗闇の最も暗い最中に（２節）起こるのではないかと言うことです。であればこれから世界中がますます暗くなります。しかしその時に「あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。国々はあなたの光のうちに歩み王たちはあなたの輝きに照らされて歩む」と書かれている３節はリバイバルが来る時の様子ではないでしょうか。 　いよいよ世の中は未だかってない真っ暗な暗闇の中を通る時となるーーその時こそ、そのために主に整えられた私たち御国の精鋭が、主の良い御使いに助けられ、最後の大収穫に参加する一方で、世界の多くの国を主の御国となるように導く仕事に就く時であると信じます。 そのために私たちは、今こそ主に似た、へりくだって主にのみ仕える者にならねばならない、それはマタイの５章にある山上の垂訓の教えーー「心の貧しい者」「柔和な者」「義に飢え乾く」「あわれみ深い者」「心の聖い者」にならねばならないと思う次第です。（終り）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<div><strong>エルサレムの平和のために祈ろう</strong></div>
<div></div>
<div><strong>　　　　　　　　　　　　　　　  坂　　達　也</strong></div>
<div></div>
<div></div>
<div>5月14日は、イスラエル建国70周年に当たる特別の記念日でし<wbr>た。</wbr></div>
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<div>式典で最も称えられたことは、<wbr>トランプ大統領の勇気ある決断力でした。<wbr>トランプ氏はご存知の通り選挙でそれを公約し、昨年12月に大統<wbr>領として正式にそれを実行する事を世界に公表しました。しかし、<wbr>それを受けて世界（特にアラブ系諸国）<wbr>は猛然と反発して参りましたが、それを敢えて押し切って、<wbr>遂にエルサレムにアメリカ大使館の移動が実現に至った記念すべき<wbr>日でした。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div>本件は過去において、<wbr>１９９５年にアメリカ議会がイスラエルのアメリカ大使館をテルア<wbr>ビブからエルサレムに移すことを承認したにもかかわらず、<wbr>最近の歴代３大統領はそれを実行しなかった経緯がありますから、<wbr>この事がどれ程大きな勇気と決断を要するものであったかがこの式<wbr>典を通してうかがわれ、大きな感銘を受けた次第です。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div>しかもこれに先立ち、<wbr>トランプ大統領はイスラエルの最大の政敵であるイランとの核に関<wbr>する六カ国合意契約を破棄する事を宣言していましたから、<wbr>この式典と時を同じくして、<wbr>パレスチナ自治区ガザで数万人規模の激しいデモが発生し、<wbr>それを企画したハマスのテロリストに対してイスラエル防衛軍（I<wbr>DF)が報復したため多大な死傷者が出たことは、<wbr>十分予期された事件であったと思います。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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<div>　イスラエルとエルサレムの歴史は非常に複雑です。<wbr>第二次大戦が終了し、イスラエルが独立国家として正式に1948<wbr>年に誕生して以来７０年が経った訳ですが、<wbr>その首都は聖書的に言えば間違いなくエルサレムです。そして、<wbr>このエルサレムこそは将来イエス・キリストが帰って来て、<wbr>世界を統治する御国の永遠の首都となる場所であることは、<wbr>クリスチャンの皆様はよくご存知です。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div>一方、歴史的政治的な立場からすれば、イスラエルは1967年の<wbr>第３次中東戦争で、ユダヤ教やイスラム教、<wbr>キリスト教の聖地が集中する旧市街を含む東エルサレムを占領。<wbr>その後は併合したエルサレムを「不可分の首都」<wbr>と位置づけてきました。但し、国際的な承認は得られていません。</wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div>これに対して、<wbr>東エルサレムを将来に独立する際の首都とするパレスチナ側は当然<wbr>ながら反発しました。1993年のイスラエルとパレスチナの「<wbr>２国家共存」を目指すオスロ合意では、<wbr>今後の交渉でエルサレムがどちらに帰属するかを決めるとしていま<wbr>した。そのため今回の米国の動きに、<wbr>パレスチナ側は猛反発した訳ですが、<wbr>これによって中東和平交渉の再開は一段と難しくなってきたことは<wbr>否めません。そして、<wbr>その理由がお互いに宗教的な事情が絡む以上、<wbr>和解の余地はほぼ考えられない最悪の事態に立ち至った状態にあり<wbr>ます。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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<div>一方アメリカにおいても、<wbr>トランプ大統領の立場は苦しいものがあります。<wbr>それはアメリカには宗教の自由が許されている以上、<wbr>大統領が一宗教の立場を取ることは許されないからです。<wbr>従って中間選挙をこの秋に迎えるアメリカは、<wbr>国内の政治闘争による紛糾がますます深まると予想されます。<wbr>しかし私たちクリスチャンの立場からすれば、<wbr>トランプ大統領が取った今回の行動は、<wbr>明らかに彼自身が正真正銘のクリスチャン信仰の持ち主であること<wbr>を証明したと言えます。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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<div><strong>ユダヤ教徒とクリスチャンの立場</strong></div>
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<div>ご存知の通り、詩篇122:6ー9には、こう書かれています。</div>
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<div><strong>私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。『<wbr>おまえのうちに平和があるように。』</wbr></strong></div>
<div><strong> 私たちの神【主】の家のために、私は、<wbr>おまえの繁栄を求めよう。』」</wbr></strong></div>
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<div>ナタネヤーフ首相は昨日の演説で、<wbr>イスラエルの首都はエルサレムであるが、<wbr>そのエルサレムにおいて、戦いではなく、平和を望む、<wbr>と言っていましたので、おそらく彼は上記の聖句を踏まえた「<wbr>両者が平和裡に共存する」<wbr>可能性を追求する用意はあると言っているのではないかと思います<wbr>。しかし、<wbr>パレスチナ側はあくまでエルサレムを自分の領土と主張すると思わ<wbr>れ、そこには妥協の余地はほとんどないと言えます。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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<div>また、創世記１２：３では、<wbr>イスラエル建国の父アブラハムに対して<strong>「<wbr>あなたを祝福する者をわたしは祝福し、<wbr>あなたを呪う者をわたしは呪う。」</wbr></wbr></strong>と明言され、<wbr>それには異邦人の私たちも含まれていますから、<wbr>真にキリストの神を信じる者であれば、<wbr>イスラエルに反対する立場は取れないはずです。</wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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<div>さてそこで、私は日本とイスラエルの関係を憂慮します。<wbr>一応今までは友好的に推移して来たようですが、<wbr>最近日本国首相が、アラブ側に気を使ってか、<wbr>日本は大使館をテルアビブからエルサレムに移動はしないと明言し<wbr>ました。しかし私たちクリスチャンとしては、日本が「羊の国」<wbr>になるためには、<wbr>名実共にイスラエルを完全にサポートする立場を明白に宣言する日<wbr>が一日も早く来る事を願って止みません。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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<div><strong>世界情勢は完全に終末の時代に入っている</strong></div>
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<div>つい先日アメリカは、<wbr>イスラエルの東北側の隣国のシリヤを攻撃し、<wbr>その背後にいるロシヤを刺激しました。<wbr>その後にイスラエルとアメリカを目の敵にする東側の大国イランと<wbr>の条約破棄を宣言したのです。<wbr>これでイスラエルを取りまくアラブ諸国陣営と後ろ盾のロシヤに対<wbr>抗して、<wbr>イスラエルとそれを後押しするアメリカが対峙するという世界を分<wbr>けての二大体制ーーこれはまさに聖書が預言する最後の時代に起こ<wbr>る「決戦体制」が出来上がりつつあると言えないでしょうか。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div>一方、<wbr>アジヤでは中国が後押しする北朝鮮とアメリカが後押しする韓国、<wbr>日本、台湾の体制が不気味な様相を呈しています。すなわち、<wbr>ここでも二大勢力の対決ができつつあり、<wbr>もしかすると黙示録８章９章の預言が当てはまり、<wbr>戦争が勃発するだけでなく、<wbr>更に激化して１０章の預言に続く可能性があるようにも思えます。<wbr>これらの章は、<wbr>明らかに核戦争の様相に当てはまるとも考えられます。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div>正直なところ、<wbr>私は中国が北朝鮮を簡単にアメリカ側に手離すとは考えられません<wbr>。その点、<wbr>北朝鮮問題の解決が今後難しくなる可能性が十分あり得るという気<wbr>がします。但し、<wbr>このように申し上げても私は世の終わりがすぐ来ると言っているの<wbr>ではありません。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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<div>むしろ、私が申し上げたいことは、<wbr>終末のリバイバルと霊的アウェークニングは、<wbr>前にも申し上げた通り、イザヤ書６０章に書かれているように<strong>「<wbr>見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている」</wbr></strong>とい<wbr>う暗闇の最も暗い最中に（２節）<wbr>起こるのではないかと言うことです。<wbr>であればこれから世界中がますます暗くなります。しかしその時に<strong><wbr>「あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。<wbr>国々はあなたの光のうちに歩み王たちはあなたの輝きに照らされて<wbr>歩む」</wbr></wbr></wbr></strong>と書かれている３節はリバイバルが来る時の様子ではないで<wbr>しょうか。</wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></wbr></div>
<div>　いよいよ世の中は未だかってない真っ暗な暗闇の中を通る時となる<wbr>ーーその時こそ、そのために主に整えられた私たち御国の精鋭が、<wbr>主の良い御使いに助けられ、最後の大収穫に参加する一方で、<wbr>世界の多くの国を主の御国となるように導く仕事に就く時であると<wbr>信じます。</wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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<div>そのために私たちは、今こそ主に似た、<wbr>へりくだって主にのみ仕える者にならねばならない、<wbr>それはマタイの５章にある山上の垂訓の教えーー「心の貧しい者」<wbr>「柔和な者」「義に飢え乾く」「あわれみ深い者」「心の聖い者」<wbr>にならねばならないと思う次第です。（終り）</wbr></wbr></wbr></wbr></div>
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		<title>リバイバルがやって来る！誰がその火を点け、  　　　　　誰がその実となる未信者を導くのか　（その二）　　　　　　　　　　　　　坂　　　達　　也</title>
		<link>http://www.banministries.org/?p=3240</link>
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		<pubDate>Wed, 21 Feb 2018 17:23:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>walkwithgod</dc:creator>
				<category><![CDATA[坂　柚実子からのメッセージ]]></category>

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		<description><![CDATA[リバイバルがやって来る！誰がその火を点け、 　　　　　誰がその実となる未信者を導くのか　（その二）　 &#160; 　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　　達　　也 &#160; &#160; 　先週はこの２月８−１１日に開催されたモーニングスター・ミニストリーにおける「アドバンス預言カンファレンス」で語られたリバイバルとアウェークニングへの預言についてご報告し、特にジェロマイヤ・ジョンソン師のメッセージに焦点を当てました。 　そこで今回はその前日の講師であったポール・キース・デイビス師のお話をご紹介’します。 &#160; 　師は前にもお話ししたかと思いますが、約３年前に奥さんが家を出て行かれ、その衝撃と悲しみの中で、首の付け根辺りの背骨を痛めるという大変な事態になり大きな手術を受けることになりました。一時は一人で立つことも歩くこともできず、痛みに苛まれ食べることすらままならなかったといわれます。また手術後の回復が思わしくなく、再び背中の手術が必要と医師に云われたのですが、師はそれを断りました。そのような大変な痛みと苦しみの最中にあった２０１５年６月の或る夜、９時過ぎでしたが、濃い主の臨在が彼の寝室を満たし、上を見なさいという声が聞こえて、見上げると天井が吹き抜けて天の御座に座っておられる御父を肉眼以上にはっきりと見ることができたと言われます。それは本当に生きておられる父なる神に会うという劇的な経験であったのです。師は「それは私が痛みと苦しみの頂点にいた時でした。私はその感激で１時間半泣き続けました。そしてそれ以来今に至る迄、その濃い主の臨在が私から去らないのです。」と言われます。 &#160; 「御父は、『わたしはあなたを養子としてわたしの子どもにしたのではない。　あなたはわたしの朽ちることのない永遠不滅の「種」から生まれ（それは人間の精子を思わせる霊の精子）、実際にわたしの種があなたの中に入っている』と言われました。それは１ヨハネ３：９に書かれてある通りです。ですから天におられる父なる神は、私を養子という形で他人の子どもを引き取ったから子になったのではなく、実の『父の種から生まれた真の息子』であることを強調されて『我が子よ、わたしは決してあなたから離れず見捨てることはしない。』とはっきり言われました。ですから、キリストとともに死に、キリストとともによみがえった私たちクリスチャンは、真実『神の子』であり、天におられる主イエスの父と私の父は同じ父であるという明確な確信をいただきました。」と師は言われます。 そこに師は、御父と主イエスと自分の関係が特別なものー霊の関係は肉の関係より遥かに強いリアリティーを持つ超親密なリレーションシップーであることを感じることができたといいます。そして父の子である自分はこの世が造られる以前から、終末の時代の「この時間」に生まれて生きる、そして予め天で定められた時が来る迄は「決して死なない」というデスティニーを持っていることを確信したそうです。 &#160; 　師は続けます。「この世の中には『永遠のいのちの霊の法則』と『罪と死の霊の法則』があることをはっきり霊的理解を持たないで生きてしまえば、私たちは死の霊の法則を甘んじて受取ってしまう。そのようになりかけていた私に対して主は『止めなさい！ストップしなさい。』といわれたのです。それは私があまりにも痛みが激しく耐えきれなくなったときに『主よ。どうぞ私をもう天に引き取ってください』と主に二度も嘆願したからでもあります。私が死の霊に脅かされ、それに同意していたことを知っておられた主ははっきりと『あなたを天に引き取る時は未だ来ていない。だから、永遠の命の霊によって生きなさい。』と私に命令されたのでした。主は『私たちは罪と死の霊の法則に縛られたまま、それを受け入れた生き方ーライフスタイルーを脱ぎ捨て、本来既に持っている「永遠のいのちの霊の法則」で生きねばならない。そうすれば病気とか悪魔の誘惑に負けることはない。そして神が定めた時が来る迄、全く健康な身体で生きることができる。』と私を強くたしなめられました。」 &#160; 師は、自分は超自然の力で癒しのミニストリーを強調しようとして言っているのではないこと、むしろそのような力は『永遠のいのちの霊の法則』で生きる者には既に具わっていることを強調していわれたのです。私はこれを「霊的覚醒」と表現したいと思います。 &#160; しかし問題は、どうすればそのようにいのちの霊の法則で生きることができるのか、です。これは信仰の訓練であり、それはジムに通って毎日筋肉トレーニングをするのに似ていて、一日二日しても効果は目に見えない。しかしたゆまずその信仰の筋肉訓練を続けるなら必ず効果が現れ、本来持っている永遠のいのちの霊の法則で生きる生き方ができるようになる。筋トレを怠ればその結果も数日では現れないが、一月、二月怠ればお腹のベルトの穴の位置が変わり、遂にはズボンを新しく新調しなくてはならなくなるのと同じであるといわれました。 　それでは、その信仰のトレーニングの方法は何かといえば、それは先ず、命の霊の法則で生きる信仰の上にしっかり立つことから始めなさいと主は言われたそうです。その点ボーン・アゲインしたクリスチャンであっても、この世で生きている間は、この永遠の命の霊の法則と罪と死の霊の法則という二つの法則が重なり合っており、死の霊の法則の（誘惑に）陥らず命の霊の法則だけに堅く立って生きることによって、決して病気にならない、あるいは、それに打ち勝つことができるといわれます。 そして師は、チャック・ピアースがいわれることに同意して「今私たちは、新しい希望をいただいて、新しいシーズンに入ったのであり、主が「この新しいニュービギニングのシーズンを勝ち通しなさい。あなたの持つ新たな信仰の戦いの向こう側は勝利であり、その信仰があなたを既に勝利した側に立たせてくれている」といわれて励まされたとそうです。 &#160; そのための具体的に何をすればよいのかーその秘訣を主に聞くと先ず「毎朝起きたときに、聖書の御ことばから、いのちの霊の法則のことばを選んで、それを声を出して唱えなさい」といわれたそうです。そこで師は、最初に詩篇の１０３を選んでそれを口に出して高らかに宣言しました。そして、これを始めてから既に一年近く経つと師は言われたのですが、その師をテレビ画面で見ますと、全く見違える程元気になられ、私たちが４年前に師に会った時よりももっと若返ってはつらつ、生き生きとしておられるのを見て私たち夫婦は心から感動しました。 &#160; このデイビス師が極限の苦しみの頂点にいる時に真の神に出会い、真の神を知ることができたことに私は心打たれました。主イエスの苦しみたるやその昔キリストが十字架をかついでゴルゴサの丘に向かうシーンが映画で演じられたことを思い出しました。実際に主が味わられた苦しみはそんなものではないといわれますが、過去・現在・未来に存在するすべての生きものが苦しむ痛みの総計に有り余る苦しみを、創造者の神ご自身が私たちに代わって味わってくださったのです。そのような考えられない程極度の苦しみと痛みのほんの一部を私たちが味わせていただけるとすればーこれ以上の特権がこの世の中にあるでしょうか。この特権こそ、主の十字架を信じ、自分の十字架を担いで、喜び勇んで主の後を追って歩く人だけに与えられた「永遠の命の霊の法則で生きる」特権であると私は信じます。そのような苦しみを味あわせていただいた人は最も幸いな人、特別に選ばれた人ではないでしょうか。今そのような苦労の中を通されている人は幸いです。 &#160; そしてデイビス師の話しが終わる頃に静かに壇上に現れ、師の側に並んで立たれたのはリック・ジョイナー師でした。リック師は、この一、二年の間、膝の手術後、複雑な問題から同じような激しい痛みと苦しみを味わって来られました。その彼が、或る時痛みをこらえつつゆっくり歩いていると、一人の少女が近寄って来てリック師の膝には悪霊がついているのが見えると言い、その子が祈ると８０％程の痛みが取れたという証しをされました。リック師は詳しいことは云いませんが、最近主から多くのビジョンを見せられて来たといい、それを今数冊の本に書き上げたところであると言いましたから、私はうなずけるのですが、激しい敵の攻撃を受ける最中に書かれたその本は、さぞすばらしい本ではないかとその本が出版されるのが楽しみです。 &#160; 同じように、私はデイビス師がこの終末の時代にこれから大きく用いられることを今回の彼を見て確信しました。また今回のカンファレンスで彼から預言の油注ぎを受けて「永遠の命の種を持って生きる信仰に堅く立つ決意を新たにしたクリスチャン」こそが終末の時代に主のために大いに用いられる人に選ばれ加えられたことをも確信しました。今回の預言のカンファレンスを画面上ではありますが目の当たりに見て本当に励まされました。 再度申し上げますが、今苦しみの中を通されている方は大勢おられます。しかし、その人たちは特別に選ばれた人、主に用いられる人であることをはっきりとお伝えしたいと思います。私がここ数年知り合った方々の中にもそのような方がおられます。どうぞこのメッセージを読まれ励まされてくださるようお祈りしております。 このような苦しみ、痛みに遭う（主がそれを許される）時には、主がその人に特別の任務を用意されていると信じます。その逆境が大きければ大きい程、その荒野の体験が長ければ長い程、その人は主に大きくすばらしく用いられるのです。事実私は今迄、主に用いられた著名な信仰の持ち主で、苦しい荒野の試練と逆境を通されていない人を見たことがありません。（終り）]]></description>
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<p><strong>リバイバルがやって来る！誰がその火を点け、</strong></p>
<p><strong>　　　　　誰がその実となる未信者を導くのか　（その二）　</strong></p>
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<p><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　坂　　　達　　也</strong></p>
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<p>　先週はこの２月８−１１日に開催されたモーニングスター・ミニストリーにおける「アドバンス預言カンファレンス」で語られたリバイバルとアウェークニングへの預言についてご報告し、特にジェロマイヤ・ジョンソン師のメッセージに焦点を当てました。</p>
<p>　そこで今回はその前日の講師であったポール・キース・デイビス師のお話をご紹介’します。</p>
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<p>　師は前にもお話ししたかと思いますが、約３年前に奥さんが家を出て行かれ、その衝撃と悲しみの中で、首の付け根辺りの背骨を痛めるという大変な事態になり大きな手術を受けることになりました。一時は一人で立つことも歩くこともできず、痛みに苛まれ食べることすらままならなかったといわれます。また手術後の回復が思わしくなく、再び背中の手術が必要と医師に云われたのですが、師はそれを断りました。そのような大変な痛みと苦しみの最中にあった２０１５年６月の或る夜、９時過ぎでしたが、濃い主の臨在が彼の寝室を満たし、上を見なさいという声が聞こえて、見上げると天井が吹き抜けて天の御座に座っておられる御父を肉眼以上にはっきりと見ることができたと言われます。それは本当に生きておられる父なる神に会うという劇的な経験であったのです。師は「それは私が痛みと苦しみの頂点にいた時でした。私はその感激で１時間半泣き続けました。そしてそれ以来今に至る迄、その濃い主の臨在が私から去らないのです。」と言われます。</p>
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<p>「御父は、『わたしはあなたを養子としてわたしの子どもにしたのではない。　あなたはわたしの朽ちることのない永遠不滅の「種」から生まれ（それは人間の精子を思わせる霊の精子）、実際にわたしの種があなたの中に入っている』と言われました。それは１ヨハネ３：９に書かれてある通りです。ですから天におられる父なる神は、私を養子という形で他人の子どもを引き取ったから子になったのではなく、実の『父の種から生まれた真の息子』であることを強調されて『我が子よ、わたしは決してあなたから離れず見捨てることはしない。』とはっきり言われました。ですから、キリストとともに死に、キリストとともによみがえった私たちクリスチャンは、真実『神の子』であり、天におられる主イエスの父と私の父は同じ父であるという明確な確信をいただきました。」と師は言われます。</p>
<p>そこに師は、御父と主イエスと自分の関係が特別なものー霊の関係は肉の関係より遥かに強いリアリティーを持つ超親密なリレーションシップーであることを感じることができたといいます。そして父の子である自分はこの世が造られる以前から、終末の時代の「この時間」に生まれて生きる、そして予め天で定められた時が来る迄は「決して死なない」というデスティニーを持っていることを確信したそうです。</p>
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<p>　師は続けます。「この世の中には『永遠のいのちの霊の法則』と『罪と死の霊の法則』があることをはっきり霊的理解を持たないで生きてしまえば、私たちは死の霊の法則を甘んじて受取ってしまう。そのようになりかけていた私に対して主は『止めなさい！ストップしなさい。』といわれたのです。それは私があまりにも痛みが激しく耐えきれなくなったときに『主よ。どうぞ私をもう天に引き取ってください』と主に二度も嘆願したからでもあります。私が死の霊に脅かされ、それに同意していたことを知っておられた主ははっきりと『あなたを天に引き取る時は未だ来ていない。だから、永遠の命の霊によって生きなさい。』と私に命令されたのでした。主は『私たちは罪と死の霊の法則に縛られたまま、それを受け入れた生き方ーライフスタイルーを脱ぎ捨て、本来既に持っている「永遠のいのちの霊の法則」で生きねばならない。そうすれば病気とか悪魔の誘惑に負けることはない。そして神が定めた時が来る迄、全く健康な身体で生きることができる。』と私を強くたしなめられました。」</p>
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<p>師は、自分は超自然の力で癒しのミニストリーを強調しようとして言っているのではないこと、むしろそのような力は『永遠のいのちの霊の法則』で生きる者には既に具わっていることを強調していわれたのです。私はこれを「霊的覚醒」と表現したいと思います。</p>
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<p>しかし問題は、どうすればそのようにいのちの霊の法則で生きることができるのか、です。これは信仰の訓練であり、それはジムに通って毎日筋肉トレーニングをするのに似ていて、一日二日しても効果は目に見えない。しかしたゆまずその信仰の筋肉訓練を続けるなら必ず効果が現れ、本来持っている永遠のいのちの霊の法則で生きる生き方ができるようになる。筋トレを怠ればその結果も数日では現れないが、一月、二月怠ればお腹のベルトの穴の位置が変わり、遂にはズボンを新しく新調しなくてはならなくなるのと同じであるといわれました。</p>
<p>　それでは、その信仰のトレーニングの方法は何かといえば、それは先ず、命の霊の法則で生きる信仰の上にしっかり立つことから始めなさいと主は言われたそうです。その点ボーン・アゲインしたクリスチャンであっても、この世で生きている間は、この永遠の命の霊の法則と罪と死の霊の法則という二つの法則が重なり合っており、死の霊の法則の（誘惑に）陥らず命の霊の法則だけに堅く立って生きることによって、決して病気にならない、あるいは、それに打ち勝つことができるといわれます。</p>
<p>そして師は、チャック・ピアースがいわれることに同意して「今私たちは、新しい希望をいただいて、新しいシーズンに入ったのであり、主が「この新しいニュービギニングのシーズンを勝ち通しなさい。あなたの持つ新たな信仰の戦いの向こう側は勝利であり、その信仰があなたを既に勝利した側に立たせてくれている」といわれて励まされたとそうです。</p>
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<p>そのための具体的に何をすればよいのかーその秘訣を主に聞くと先ず「毎朝起きたときに、聖書の御ことばから、いのちの霊の法則のことばを選んで、それを声を出して唱えなさい」といわれたそうです。そこで師は、最初に詩篇の１０３を選んでそれを口に出して高らかに宣言しました。そして、これを始めてから既に一年近く経つと師は言われたのですが、その師をテレビ画面で見ますと、全く見違える程元気になられ、私たちが４年前に師に会った時よりももっと若返ってはつらつ、生き生きとしておられるのを見て私たち夫婦は心から感動しました。</p>
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<p>このデイビス師が極限の苦しみの頂点にいる時に真の神に出会い、真の神を知ることができたことに私は心打たれました。主イエスの苦しみたるやその昔キリストが十字架をかついでゴルゴサの丘に向かうシーンが映画で演じられたことを思い出しました。実際に主が味わられた苦しみはそんなものではないといわれますが、過去・現在・未来に存在するすべての生きものが苦しむ痛みの総計に有り余る苦しみを、創造者の神ご自身が私たちに代わって味わってくださったのです。そのような考えられない程極度の苦しみと痛みのほんの一部を私たちが味わせていただけるとすればーこれ以上の特権がこの世の中にあるでしょうか。この特権こそ、主の十字架を信じ、自分の十字架を担いで、喜び勇んで主の後を追って歩く人だけに与えられた「永遠の命の霊の法則で生きる」特権であると私は信じます。そのような苦しみを味あわせていただいた人は最も幸いな人、特別に選ばれた人ではないでしょうか。今そのような苦労の中を通されている人は幸いです。</p>
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<p>そしてデイビス師の話しが終わる頃に静かに壇上に現れ、師の側に並んで立たれたのはリック・ジョイナー師でした。リック師は、この一、二年の間、膝の手術後、複雑な問題から同じような激しい痛みと苦しみを味わって来られました。その彼が、或る時痛みをこらえつつゆっくり歩いていると、一人の少女が近寄って来てリック師の膝には悪霊がついているのが見えると言い、その子が祈ると８０％程の痛みが取れたという証しをされました。リック師は詳しいことは云いませんが、最近主から多くのビジョンを見せられて来たといい、それを今数冊の本に書き上げたところであると言いましたから、私はうなずけるのですが、激しい敵の攻撃を受ける最中に書かれたその本は、さぞすばらしい本ではないかとその本が出版されるのが楽しみです。</p>
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<p>同じように、私はデイビス師がこの終末の時代にこれから大きく用いられることを今回の彼を見て確信しました。また今回のカンファレンスで彼から預言の油注ぎを受けて「永遠の命の種を持って生きる信仰に堅く立つ決意を新たにしたクリスチャン」こそが終末の時代に主のために大いに用いられる人に選ばれ加えられたことをも確信しました。今回の預言のカンファレンスを画面上ではありますが目の当たりに見て本当に励まされました。</p>
<p>再度申し上げますが、今苦しみの中を通されている方は大勢おられます。しかし、その人たちは特別に選ばれた人、主に用いられる人であることをはっきりとお伝えしたいと思います。私がここ数年知り合った方々の中にもそのような方がおられます。どうぞこのメッセージを読まれ励まされてくださるようお祈りしております。</p>
<p>このような苦しみ、痛みに遭う（主がそれを許される）時には、主がその人に特別の任務を用意されていると信じます。その逆境が大きければ大きい程、その荒野の体験が長ければ長い程、その人は主に大きくすばらしく用いられるのです。事実私は今迄、主に用いられた著名な信仰の持ち主で、苦しい荒野の試練と逆境を通されていない人を見たことがありません。（終り）</p>
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